専門・熟練技術者の引退や不足は日本企業にとって避けて通れない課題です。とりわけ暗黙知化・属人化しがちな「現場のノウハウ」をいかに蓄積・継承していくかは重要なテーマとなっています。関東天然瓦斯開発株式会社(本社:千葉県茂原市/以下、関東天然ガス)は、ガスの供給や管理・保守を担っている「指令センター」で、熟練技術者の判断プロセスを可視化し、デジタル技術やAI技術を活用した教育システムを導入しました。その背景や導入の経緯、効果をLTSマーケティング&セールス部の菅野が取材しました。
※プレスリリース:https://lt-s.jp/news/pressrelease/2026-08-07

テクノロジーを活用したビジネス変革を支援。特にDX戦略やAIX(AIトランスフォーメーション)の構想策定、AI CoE(Center of Excellence)の立ち上げ・運営、およびAI技術の開発検証を推進。さらに、生成AIをはじめとする最新技術の業務適用や、プロダクトマネジメントを伴うPdM活動にも従事している。技術の検証段階にとどまらず、現場実装までを一貫して支援することを重視している。(2025年7月時点)
生活インフラ「ガス事業」
千葉県茂原市―。田んぼや畑が広がる平地に、ガス井戸を掘削する「やぐら」とぽつぽつとガス井戸が見えます。ガス井戸から少し移動すれば、ガス生産の一端を担うコンプレッサーハウスがあります。市街地に進めば、「七夕のまち もばら」とペイントされた、ガスが貯められている球形のタンク―ガスホルダーが姿を見せました。

これらの設備を開発・管理しているのが関東天然ガスです。天然ガスおよびヨウ素の開発から生産・販売までを一貫して手掛けるK&Oエナジーグループ株式会社(以下、K&Oグループ)の中核企業です。ガスとともに、海水の約2000倍のヨウ素を含むかん水(地下水)も産出され、K&Oグループの事業の第2の柱にもなっています。千葉県のヨウ素産出量はチリに続いて世界2位です(参考)。
新人の独り立ちには約2年
関東天然ガスの要:指令センター
ガスを安定供給するには、季節や天候、時間帯などによって変化する需給の見通し、設備の状況などを考慮しながら絶え間なく判断し、供給量の調整を行い続けることが必要です。それを担うのが、指令センターです。24時間365日、三交替勤務で設備の監視・制御を行い、現場との連絡調整も図っています。いわばガス供給の司令塔であり、事業における心臓部です。
指令センターは大きな課題に直面していました。指令センターの業務が複雑で難解なことだけではありません。ガスバランス操作をするためには、膨大なガスネットワークを理解し、設備の稼働状況に加え天候や季節要因、将来の需要予測など、多くの情報を総合的に判断しなければなりません。その判断プロセスは長年の経験で培われたものであり、可視化されていませんでした。さらに、緊急・異常時には、素早い判断・対応が求められるため、思考プロセスをマニュアル化することも困難でした。
また、ガスバランス操作に正解はありません。社員によって手法や判断プロセスは異なり、どのタイミングでどんな操作をするのかは、ベテランの間でも許容範囲や感覚に差があるのです。そのため教育担当につく社員によって、新人のインプットや判断にも差がでるのが実情でした。
「可視化の壁」と「業務の複雑性」

「指令センター業務の教育はOJTで行っており、若手の独り立ちには、季節ごとに異なる業務対応を2巡は経験するため2年を要します。業務に習熟し安心して任せられるようになるためには5年かかっています」と、指令センター業務に長年携わってきた鉱業部 生産供給グループ マネージャーの斉藤英樹さんは説明してくれました。
LTSが同社から相談を頂いた当初、プロジェクトはベテラン社員の判断を(AIを含む)デジタル技術で支援し、新人育成を効率化することを目的にスタートしました。しかし、プロジェクトを進める過程で「そもそもデジタル技術で支援すべき判断基準そのものが整理されていない」という事実につきあたりました。AIやデジタル技術を活用するためには、まず人が持つ知識や判断プロセスを可視化し、組織の知識として整理する必要があったのです。
暗黙知・属人化した業務の可視化
選択肢を提示するAI「ガス・バランス・ビジュアライザー」
そこで「若手の成長早期化」を主な目標に据え、ヒアリングを通じて、ガスバランス調整・異常時対応・三交替で行うための引継ぎといった指令センターの業務を包括的に分析し、業務構造全体の高度化に向けた変革プランを策定しました。

そして開発・導入されたのが「ガス・バランス・ビジュアライザー(GBV)」です。ガスホルダーの圧力情報をリアルタイムに収集し、とるべき対応の選択肢をモニターに表示するシステムです。ベテランの判断プロセスをデジタル化し、設備や天候などのリアルタイム情報や過去の実績を踏まえ、状況に応じて判断・対応の選択肢を提示します。
異常時対応や需給調整の判断材料が直感的に提供されるため、新人が判断する参考となります。また、ベテランの判断の裏側にある「根拠」を視覚的に学ぶことができ、スキル習得期間の短縮化だけでなく、組織全体としての運転品質・安定性の向上に繋がります。
また、GBVによる判断支援があることで、新人には難易度の高い需要ピーク時間帯の業務にも、より早い段階で就くことができるようになることが期待されます。
信頼の上で成り立つヒアリング
LTS Data Lead事業部の舟山雄太によると、プロジェクトでは特に、業務構造を整理・理解し、課題を解消するにあたって、ベテランの判断プロセスの可視化・言語化のため、業務ヒアリングに最も時間を費やしました。
舟山は「ヒアリングで暗黙知を引き出すためには、信頼関係の構築が欠かせません」と言います。現場に何度も足を運び、「パズルのピースを集めるように」丁寧にコミュニケーションを重ねました。指令センター業務終了後に「先ほどはなぜそのような操作をしたのか?」「どの情報を参照したうえでの判断だったのか?」「判断時の留意点はどこだったのか?」など根掘り葉掘り聞き、平時とトラブル時の操作方法を含め、新人が中堅へ遷移する過程で把握すべき操作を状況別に整理することができたと言います。
「ベテランとして働いているメンバーでも、あらためて自分の技術を抽出されることに緊張がありました。直接会話をすることで雰囲気やこちらの意図を汲み取って理解を深めてもらうことができ、より具体的な内容の言語化ができたと思います」と斉藤さんは振り返ります。

「なるほど、そういう解釈もあるのか」

鉱業部 生産開発グループ 主務(元生産供給グループ所属)の内山友裕さんは「ヒアリングは自分の思考の棚卸しや、他の社員が考えていることを理解するきっかけになりました」と言います。さらに「同僚同士、それまで同じ認識だと思っていたことが実は微妙に異なっていたり、逆に、確かにそう考えることもできるなと新たに気づきがあったり、指令センター社員の思考プロセスを可視化できたのは大きかった」と続けます。
このように、暗黙知を可視化するプロセスは、ベテランにとっても仕事を再認識し、教え方をアップデートする「学び」の機会にもなりました。コンサルタントという第三者がヒアリングすることで、属人化していた判断基準・観点が「しきい値」や「手順」として可視化され、組織内での共通認識が生まれました。さらに、ベテラン同士、新人との間でのガスバランス調整業務への議論が活発化することで、指令センターにおけるデジタル・AI時代の業務のあり方の明確化に繋がりました。
現在、GBVが実務で稼働し、新人の習熟早期化の検証を進めています。今後は、より需給予測の精度を向上させる改修を検討しています。
ベテランの知識を組織の知識に:少子化でも安定したガス供給へ
業務が属人化し「特定の人がいないと仕事が成り立たない」状況は組織運営、ひいては企業運営のリスクとなります。スキルの蓄積・教育の早期化が実現すれば、人材流動性も高まり、他部門との間でのジョブローテーションもより活発にできるようになります。
「需給バランスを先読みしながら業務を遂行する指令センターとして、今回の取り組みは、ただシステムを開発・導入するのではなく、社員同士の認識や言葉の意味をすり合わせ、制御の標準化にも意義がありました」と鉱業部 副部長(ほか、複数グループ兼任)の早津晋さんはプロジェクトの意義を語ります。
暗黙知のデジタル化は単なる効率化ではなく、「ベテランの勘」を「組織の資産」へと変換し、より安定したガス供給体制と柔軟な人材育成を実現するDXの本質的な取り組みです。AIを活用したDXにより、熟練者の経験や判断を組織資産へ転換した点にこそ本プロジェクトの価値があります。

今回の取り組みはあくまでも始まりです。現在、新人がGBVの利用を始め、需要ピーク時間帯の業務にも挑戦し、指令センター内での共通認識形成を図っています。舟山は「AIはあくまで手段です。今回の取り組みで最も価値があったのは、ベテラン一人ひとりが持っていた判断基準を組織全体の知識として共有できるようになったことでした。今後も現場とともに知識を磨き続け、持続可能なインフラ運営を支援していきたいと考えています」

エディター・ライター

2021年にLTSへ入社後、LTSリンクのエージェントサービスにて出向社員として営業業務に従事。現在はLTSのマーケティングチームに所属し、CLOVERの企画・執筆や企業SNSの運用・管理を行っている。趣味は旅行、食事、犬猫の動画を見ること。(2024年6月現在)



