1962年、埼玉県出身。中央大学バレーボール部卒で、日本代表主将石川祐希さんは部の後輩。1985年、新卒で岩崎通信機に入社。1999年に東京精密、2002年にアパレルブランドのセオリーへ。ファーストリテイリングによるセオリー買収に伴い、2009年に柳井正氏の〝側近〟となる。2012年、ホテル・レストラン、ウェディング事業を行うプラン・ドゥ・シー(Plan・Do・See)に入社、2013年ヨコハマ グランド インターコンチネンタル ホテル支配人。2021年4月にLTS入社。(2024年6月現在)。
「I am one of the customers.」
オリエンタルホテル神戸での半年のコック見習い修行では、プラン・ドゥ・シー(Plan・Do・See、PDS)の行動指針「I am one of the customers.」が何を意味するのかを体感しました。「自分がもしお客様だったら、どのような空間で、どのようなサービスを受けたいのか、どんな料理を召し上がりたいのか?」そんな意図が込められています。進化を続けるサービス業では、常に顧客目線で空間・サービス・料理を高めていくことが重要だからです。
神戸のキッチンは宴会場のすぐ横にあり、サービススタッフは宴会の進行を常に把握します。例えば主賓の挨拶が長くなった時など進行が前後した際には、料理の提供時間も分単位で都度調整します。最高の料理を最高の状態で提供することを大事にしているからです。一方、多くの大手ホテルは生産性を重要視しています。例えば、キッチンはセントラル化し、全ての宴会場の料理は一括で調理されます。その方が厨房機器の設備投資も調理人も少なくて済むからです。そして料理は、各宴会場の進行状況は関係なく、予定通りの順番で調理され、ホットカート等でエレベーターを使って配膳されるため、出来立ての状態ではありませんし、宴会の進行状況はもちろん反映されません。
では、生産性の高い大手ホテルの方がPDSより収益性が高いのかというと、そうではありません。PDSの方が、圧倒的に収益性が高いのです。なぜなら、顧客視点で品質を高め続けるPDSは顧客単価が高いからです。生産性向上がイコール収益向上にはつながらないのです。そしてPDSが最も一般のホテルと異なる文化を持っているのが調理場でした。PDS創業者の野田豊加さんがなぜ、私を神戸で修行させたのか、ホテルに着任して深く理解することができました。
そんな神戸で半年ほど修行し、いよいよヨコハマ グランド インターコンチネンタル ホテルに出勤です。2014 年2月、婚礼部長を経て1年後に総支配人となりました。
ところでこの時、妻から「老後はどうするの?」と問われてしまいました。というのも、東京郊外にマンションを購入していましたが、そのマンションを売却しヨコハマ―の隣、みなとみらいにマンションを借りることにしたからです。ホテル運営に門外漢かつ外部の会社から来た私に、多くのスタッフは懐疑的な気持ちを抱いていたと思いました。その懐疑心を払しょくするために、私の覚悟を伝えたかったのです。老後を心配する妻を「いまがなければ老後もない」と説得しました。しかし、すぐ売れると思ったマンションは半年売れず、ローンと家賃のダブルコストで家計は火の車でした。しかし、あの決断があるから現在があると思っていますし、理解してくれた妻には心から感謝しています。妻には後に「旅行」で少し恩返しすることができました。
料理長とは険悪になったけれども
さてホテル、それも五つ星の巨大ホテルの運営は、オペレーションの塊です。宿泊、宴会、結婚式、レストラン、調理…など600人のスタッフと無数のオペレーションが24時間、複雑に絡み合って成り立っています。それを大局から調整するのが総支配人です。業務を管理しようとすると業務を熟知した人間でなければ不可能です。しかし、熟知している分、オペレーションチェッカーや生産性(損益)、P/L(損益計算書)ばかり見てしまう傾向があります。
例えば業績が悪くなると「宴会が減っているからスタッフを減らそう」「仕入原価を削減しよう」「設備投資を抑制しよう」と考えがちです。しかし、そうすると当然ですが、料理のクオリティは下がり、人が減りサービスの質は落ちます。品質改善のための投資が行われなくなり結果、売上・利益が下がるという悪循環に陥ってしまいます。
私はホテル経験がまったくありませんから、オペレーションチェッカーにはなりようがありません。私がユニクロ(ファーストリテイリング)で実践してきたことは、仕事の本質は顧客貢献であり、目の前の仕事はそのための手段である、ということでした。豊加さんが「ホテル経験者じゃないけど、ホテル総支配人ができる人」を探していた意図がやっとわかりました。私はスタッフに「ホテルのレストランはお腹が空いたから来る所ではないし、眠いから泊りに来るお客様などいない。お客様の本質的な目的を達成するために仕事をすべき」と問い続けました。例えば、結婚式であればお世話になった方に感謝を伝えたい、接待であれば業務提携を成功させたい、デートであればプロポーズを成功したい、それをサポートすることこそが我々の仕事の目的だと。
料理長と、こんなやり取りをしたことがあります。
「料理、食べたことありますか?」
「もちろん、ありますよ」
「どこで食べましたか?」
「キッチンで、です」
「違います。席で、お酒飲みながら食べたことはありますか」
「ありません。」
「では婚礼試食会で一緒にワイン飲みながら、食事しましょう!」
ということで、料理試食会で披露宴を開催されるご家族の方々に交じり、私と総料理長の2人でワインを飲みながら、コース料理を頂きました。すると私も料理長も料理が多すぎて、すべてを食べられませんでした。私は量の多さを伝えたかったのです。以降、料理の量が減りました。そんな最初こそ行き違いがあった総料理長との関係ですが、それ以降は打ち解けることができ、彼との協働体制は業績改善の大きな起点となりました。総料理長には心から感謝しています。
「方向性を示し、決める人を決める」
ホテルのスタッフは目の前のタスクを完了させるため全力を尽くします。しかし、組織がトップダウン型だと、スタッフは目の前のタスクだけに集中し、全体を考えることを許されなくなります。LTSが手掛けている業務改善のケースでもしばしば指摘されるよう、部分最適は全体最適にはなりませんし、ミッションやバリューがおろそかになってしまいます。
冒頭に述べた「I am one of the customers.」を実現するため、PDSでは顧客体験を向上するための「社員研修」つまり世界中の良いホテル・レストランを経験するための予算は青天井でした。ヨコハマ―に常駐したPDSスタッフ全員で、イタリアのミラノからドイツ国境の北部、そしてベネチアを経てローマと、ワイナリーやベンチマークレストランへ視察に行ったこともあります。
研修のユニークな点は、妻やパートナーも連れていくことを推奨されていることです。妻やパートナーの交通費は個人負担ですが、ホテルやレストランの費用は全額会社が負担します。ラグジュアリーなレストラン、ホテルを本質的に体験するのはパートナーがいなければできないからです。おかげさまで私は、前述のイタリアはじめロスアンゼルス、サンフランシスコ出張にも妻を連れて行っていきました。
私は前述した仕事の本質の周知と合わせ、費用対効果イコール費用は全て投資である、ということも周知していきました。例えば、こんなやり取りがありました。
「もっと料理の品質を上げ、もっとお客様に喜んで頂ける策は何かないだろうか?」
「特に思いつきません」
「お客様と直接対面しているのはあなたなのだから、何かあるはずです。お金はいくらかかってもいいから、アイデア出してみてください」
「調理器具の〇〇を買えば品質上げられます。でも300万円もしますから無理ですよね」
「その器具を買ったら、料理単価をいくら上げられる? お客様の数はどれだけ増やせる?」
「単価は〇〇円上げられ、お客様の数はこれだけ増やせると思います」
「ではその単価と人数アップで月額いくら、利益が増える?」
「50万円です。」
「では6か月で回収だね! その調理器具を入れてみようか!」
こんな会話を積み重ねていき、スタッフがみなお客様の満足向上のために自分で考え、アイデア出し合い、そして費用対効果で考えるようになりました。本来、ホテルのスタッフの方々はお客様の笑顔を見たくでホテルマンになっているわけです。ヨコハマ―は自浄的にどんどん良くなっていきました。
ヨコハマ―の総支配人を4年務め、その後は私自らが営業し契約を獲得したタイ・バンコクのホテルの総支配人を務めました。海外出張は何度も行っていましたが、初の海外駐在です。ホテルスタッフは同伴した部下以外は全員タイ人、大変刺激的でした。またその後、大手デベロッパーと組んだ沖縄の離島リゾート開発プロジェクトのマネージャーを担当し、完成後は私が総支配人になる予定でした。しかしそのプロジェクトは新型コロナの影響で凍結になってしまいました。そんな2020年9月、ある人からこんな電話がありました。
「私が顧問をしている会社の社長が千葉くんみたいな人を探している。社長に会ってみないか?」―。この方が顧問をしている会社は、私のこれまでのキャリアとはまったくの異業種ですので、入社することはないだろうと思いました。ただ、経営者にお会いすることは人生の肥やしになるので、お会いさせていただくことになったのです。(つづく。次回は7月26日に公開予定です)