1962年、埼玉県出身。中央大学バレーボール部卒で、日本代表主将石川祐希さんは部の後輩。1985年、新卒で岩崎通信機に入社。1999年に東京精密、2002年にアパレルブランドのセオリーへ。ファーストリテイリングによるセオリー買収に伴い、2009年に柳井正氏の〝側近〟となる。2012年、ホテル・レストラン、ウェディング事業を行うプラン・ドゥ・シー(Plan・Do・See)に入社、2013年ヨコハマ グランド インターコンチネンタル ホテル支配人。2021年4月にLTS入社。(2024年6月現在)。
バレーボールの縁
「私が顧問をしている会社の社長が君のような人を探している。会ってみないか?」―。
そう声をかけてくれたのは、LTS会長の金川裕一さんでした。金川さんは早稲田大学のバレーボール部出身で現在、日本バレーボール協会の副会長です(すごいですよね)。学生時代には同じ関東バレーボールリーグに所属していましたが、金川さんが4年生の時に私が1年生というここともあり面識はありませんでした。
金川さんが横河電機の、私が岩崎通信機のそれぞれバレーボール部に所属し、東京都実業団リーグで優勝を争っていたこと、お互いの会社が近く頻繁に練習試合やその後の懇親会をやっていたことでお付き合いが始まりました。付き合いは今年で40年になります。
その後、私がファーストリテイリングやPlan Do See(PDS)に転職しても付き合いを続けさせていただき、私の良きメンターとして年に数回会って刺激をもらったり、金川さんの会社で講演させていただいたりしたことがあります。しかし、仕事をご一緒させていただいたことは一度もありませんでした。そんなところ、突然電話がかかってきて「君のような人を探している社長がいる」と言われました。その社長が、LTSの樺島弘明さんでした。
樺島さんとは、2020年9月に新宿御苑の旧LTS本社で初めてお会いしました。樺島さんからは「LTSではM&Aや新卒・中途採用を積極的にやっていきます。会社は成長していきますが、一方で会社の文化の希薄化を懸念しています。そこで、ピープルマネジメントできる人を探しています」と言われました。
樺島さんに会うまでの間、私はヨコハマ グランド インターコンチネンタル ホテル総支配人を2017年に終え、2018年からは2019年、タイ・バンコクのHansar Bangkok Hotelで総支配人、その後宮古島リゾートホテル新規開発のプロジェクトマネージャーを担当しましたが、コロナで開発が中止となり58歳。「この年齢でこの先どうしようか」と考えていた時でした。
アパレル時代にはIT部長を担当していたものの、コンサルティングやIT・DXとは程遠い会社を歩んできましたから、金川さんの誘いとは言え、樺島さんに会うまで「私にはまず務まらないだろうな」と思っていました。
そしてもう一つ、転職を躊躇した理由があります。
「迷惑かけるかもしれません」
前述のよう、私はHansar Bangkok Hotelの総支配人をしていました。10年契約でしたので、家財や車など全て処分して赴任したのですが、1年ほど経って、オーナーとの関係が悪くなりました。結果、一方的に契約を切られ、就労ビザも更新されなかったので、やむを得ず日本に帰国していました。
帰国次第、PDS社長の野田豊加さんに謝罪に行くと「いいよ、全然気にしなくて、サインしたのは俺だから。でも幹夫さんに辛い思いをさせたことは絶対に許せない。裁判で戦うからヨロシクね」と言われました。私が交渉や契約、担当したプロジェクトで、私を全く責めることない豊加さんの懐の広さに感動しました。
Hansar Bangkok Hotelのオーナーはタイのトップ階級の方でした。こちら側に契約違反や不履行はまったくありませんでしたが、仕事の進め方がオーナーの意向に沿わなかったようです。振り返ると仕事は直球だけではなく、緩急をつけて進めるべきだったかな、とも反省しています。後にシンガポール裁判所で争いとなり、PDSの全面勝訴となるわけですが、樺島さんと会った当時は訴訟の真っ只中でした。
樺島さんの話を聞き、樺島さんの人柄とLTSの描く未来に感動したことと、「ピープルマネジメントなら今までずっとやってきたことだし、異業種出身の私でもできるのでは」と感じ始めました。私は樺島さんに、タイでのトラブルをすべて伝え、一点だけリクエストをしました。「迷惑かけるかもしれません。それでもいいですか?」。樺島さんは「全く問題ない」と言ってくださいました。
その言葉を聞いて、私はLTSへの転職を決めました。
会社運営は理念や価値観の浸透
LTSに入社したのは2021年4月、58歳の時です。ピープルマネジメントというオファーで入りましたが、前任者の方が退職されたということで、LTS子会社のワクトの社長も予定外に引き受けることになりました。
着任当初、ワクトはあまり良い決算ではありませんでした。しかし、みんなで頑張って2年目に黒字にすることができました。私にITの専門性はありません。ワクトの利益の源泉はお客様であり、その手段として開発があります。スタッフ全員が「お客様に貢献できるサービスとは何か」を考え真摯に取り組んだ結果だと感じています。
また、ファーストリテイリングやPDSで学んだことですが、やはり会社運営は、理念や価値観をいかに浸透させるかが大切なのだと改めて感じました。着任早々、ワクトのミッション「『IT×ワクワク』で、社会の発展に貢献する」、ビジョン「大切な人に心から薦めたい会社であり続ける」を既存のメンバーと議論し定めました。その上で「決断する人を決め、その人が決めたことは全力で成功に向け応援する」という姿勢を大切にしました。技術的なアドバイスはできませんが、社員みんなで結果を出せたことで、IT企業を含めどんな会社でもこれまでの会社で学び培ったマネジメント方法は生かせると手ごたえを感じました。
LTS入社3年目となる2023年からは本格的に人事も手伝うようになり、やっとやりたかったLTSのピープルマネジメントに本格的に関われるようになりました。その一環として現在、私の経験から学んだことを伝えながらディスカッション形式で自分事にしていくカジュアル塾「LTS Learning Cafe」を準備しています。
「働きがいがある会社」とは
私は「時計の針」というマネジメント方法を大事にしています。PDS時代に豊加さんから学びました。人生は時計の針のように回っていて、12時のように上を向いて調子の良い時もあれば、6時のように下を向く調子の悪い時もあるということです。意図するところは、調子の良しあしは、その人の針がどこにあるかということだけであり、調子が悪い時にレッテルを貼っては絶対にいけない、ということです。
6時付近の時は仕事を外し、アウトプットではなくインプットによって自己を高めることに集中させる。すると針は自然と12時に向かっていくものです。そして、昇り調子の時に思い切って仕事を任せるのです。
絶対にやっていけないことは、6時付近にいた時に起こしたミスを懸念して、チェックプロセスを入れること。これは人の成長を阻害するので絶対にやってはいけないとされていました。私がバンコクで失敗して帰った時、豊加さんは「針が6時を指しているからだ」とおっしゃり、私をまったく叱責しませんでした。
②で書きましたが、こんなところが常に「働きがいがある会社」や「新卒人気」ランキングでも上位であり続ける秘訣の一つだと思います。PDSを辞めるときも背中を押してくれたのは豊加さんでした。「その年で誘われるなんて素晴らしいこと。ぜひ行った方がいい! でももしダメだったら戻ってきてね」と。
この4月、LTSで4年目、そして7月でワクトでも4年目に入りました。LTSはホントにイイ会社で、イイ人が沢山います。成長途上であり伸びしろがまだまだ沢山あります。そして9月には62歳になりますが、まだまだ皆さんとやりたいこと、成し遂げたいことが山ほどあります。今後ともお付き合いいただければ幸いです。(つづく。④は9月ごろ掲載予定です)