ビジネスがますます複雑化し、変化のスピードが加速する中、創造性は単なる付加価値ではなく競争優位性の源泉として注目されています。新規事業やサービスの担当者にとって、既存の枠組みを超えた発想力が求められる今、生成AIは「創造的思考のパートナー」としてその可能性を広げるツールとなり得ます。本記事では、世界最大規模の創造性の祭典「Cannes Lions」(カンヌライオンズ)の事例を通じて、ビジネスに活かせる思考方法や、生成AIの活用方法の実践例を紹介します。不確実な時代における、柔軟で創造的なビジネス戦略を描くためのヒントになれば幸いです。
広告祭から創造性の祭典へ
映画祭で知られるフランス南東部の都市カンヌでは、毎年6月に「Cannes Lions International Festival of Creativity」(カンヌライオンズ国際クリエイティビティ・フェスティバル)が開催されます。このイベントは世界最大規模の広告・コミュニケーション関連の祭典であり、世界三大広告賞の一つにも数えられています。
Cannes Lionsは1954年に「International Advertising Film Festival(国際広告映画祭)」としてスタートしました。当初は広告映画の表彰に特化したイベントでしたが、時代とともにその対象としてクリエイティビティ全般を評価するイベントへと進化しました。その結果、現在の「Cannes Lions International Festival of Creativity」が生まれたのです。 この名称変更の背景には、広告だけでなく、プロダクトデザイン、サービス開発、企業文化など、さまざまな分野でクリエイティビティが競争優位性の鍵となり、問題解決のアイデアを生む力として認識されるようになったことがあります。つまり、「クリエイティビティ」は広告業界だけのものではなく、広く社会を前進させる原動力として評価されてきたのです。
なぜ「Creativity」なのか?
現代のビジネス環境では、「Creativity(創造性)」は単なる付加価値ではなく、成功の中心的な要素となっています。その背景には、ビジネスの複雑化、技術の急速な進化、消費者の価値観の変化があります。これまでにない価値を生み出し、正解のない問いに向き合う力が求められる時代では、「正解かどうか」よりも「人々を魅了するかどうか」が重視されるのです。
世界経済フォーラム(WEF)が発表した「未来の仕事に必要なスキル」ランキングでも、「Creativity」はトップスキルの一つとして挙げられています。AIがルーチン作業を代替する一方で、創造性は「AIに代替されない能力」として注目されています(World Economic Forum, Future of Jobs Survey 2023)。私自身、社会課題解決チーム「Social&Public」を立ち上げ、これまで多様な社会課題解決のプレーヤーをサポートさせていただいてきました。
その中で、特にステイクホルダーが多く複雑な問題を解決するには、論理だけでなく感性も考慮した「全人格的な姿勢」が必要だと痛感しています。人の心をとらえ、動かすコンセプトやビジョンメイキング―つまり、人間を中心に据えた具体的な未来を描く力が不可欠だと感じています。こうした背景から、私は創造性を開放するヒントを得るべくCannes Lionsに参加しました。
ハイネケン「PUB MUSEUMS」の革新的な取り組み
Cannes Lionsで得た経験や事例をどのようにビジネスに活かせるでしょうか。一つの方法として、世界中から集まった創造的課題解決の事例から、ビジネスに応用可能な「創造的思考の部品(クリエイティブパーツ)」を抽出し、それを携えておくことが挙げられます。
例えば、2024年のCannes Lionsにおいて複数部門でゴールドを含む賞を受賞した、ハイネケン(HEINEKEN)の「PUB MUSEUMS」という事例を取り上げます。アイルランドではインフレーションや増税、運営コストの増加により、パブの4分の1が閉店し、年平均150店舗が閉鎖されていました。ハイネケンは、ビジネスパートナーであるパブを守るため、歴史的なパブをバーチャル博物館に変えることで、その文化的価値を再認識させ、政府から助成金や税制優遇措置を得られるようにしました。
この背景には、アイルランドの社会制度として、歴史的に重要な場所に保護ステータスや財政的支援が提供される仕組みがあったことを見出していたのです。
また、この事例から連想されるのが、2020年に王立オーストラリア造幣局が実施した「Donation Dollar」プロジェクトです。特別なデザインの1ドル硬貨を発行し流通させることで、寄付を促進しました。この硬貨には「Give to Help Others」(他者を助けるために寄付しよう)というメッセージが刻まれており、日常生活の中で寄付を促進する仕組みを貨幣経済に組み込んだのです。
AIに思考ツールを〝装備〟させる
これらの事例を昇華するならば、「税制優遇制度」や「貨幣経済」など、既存の社会システムをハッキングし、システムチェンジを引き起こすという創造的思考のパーツが見出せます。
このように、事例から「クリエイティブパーツ」を抽出しておくことは、新たな事業やアイデアを構想する際に役立ちます。例えば、「既存の社会システムにどのように製品やサービスを組み込めるか」「どのポイントでシステムに接点を持たせられるか」といった戦略を練る際に活用できるのです。さらに、この「クリエイティブパーツ」を備えることは、生成AIの力を引き出す際にも効果的です。
生成AIはユーザーからの指示やプロンプトに基づいてトレーニングデータ内の「確率的に最適」な回答を出力します。しかし、創造的で予想外なアイデアを直接生成することは得意ではありません。そのため、AIを創造的思考のパートナーとして活用するには、プロンプトの工夫が必要です。 その鍵となるのが「アナロジー思考」です。先述した事例の構造を対象の環境に投影し、類似点を見つけ出すという方法です。
たとえば、新しい製品を広めたい場合、生成AIに「この製品が活用できそうな既存の社会システム」をリストアップさせることができます。その上で、製品の特長を社会システムに組み込む方法や、システムを利用するためのポイントをAIに考えさせるのです。ただAIに「考えて」と丸投げするのではなく、こちらが創造的な思考ツールを用意し、それをAIに装備させて導き出すという発想で回答の方向性と幅を調整してあげるのです。
信じられないゴールより、信じられるコンパスを
どんなアイデアや事業にも、進むべき方向性が必要です。私の軸は「社会の課題を解決すること」。それもユーモアや感動を加えることで、人々の琴線に触れていく過程も大切にしています。この考え方は、AIに限らず同僚やクライアントを含むパートナーの皆様と協働するとき、いつも意識していることです。
Cannes Lionsで印象的だったのは、映画プロデューサーの柳井康治氏が語った言葉です。「信じられないゴールより、信じられるコンパスを」。
※柳井康治氏はファーストリテイリング創業者・柳井正氏の次男で同社取締役。企画・プロデュースした「パーフェクト・デイズ」主演の役所広司さんが、カンヌ国際映画祭で男優賞を受賞した。
柳井氏が言う「コンパス」とは、不確実な世界での指針です。具体的なゴールを設定することで可能性が制限される場合もあるため、あえてゴールを設定せず、自分が進みたい方向に向かうための指針として心にコンパスを持つという考え方です。
不確実な世界において、ゴールを定めてしまうと可能性が制限されてしまいそうだから、設定しない。でも自分が進みたい方向に向いていけるように、心にコンパスを携えておく。生成AIの登場で、”誰もがディレクションをする時代”が加速しました。私が、私たちが、チームが、社会がどこに進んでいきたいのか、内なるコンパスを携えながら激動の時代を航海するように仲間と進んでいきたい。そんな強さと柔軟さの両方をもった考え方が、生成AI時代には大切なように思います。「あなたにとってのコンパスはなんでしょうか?」