2015年にLTS入社、大手自動車会社にてBPO業務の業務プロセス運用・改善の長期プロジェクトに従事、その後、課題整理・プロセス可視化等の業務分析プロジェクトを複数経験。2022年1月から自己研鑽・ボランティア休職を取得し青年海外協力隊としてガーナで奮闘中。(2023年2月時点)
ガーナ滞在記 2022年9~10月の報告 後編
理想と現実。人間力を試される環境
この2か月、落ち込むことも多くあった。任地に赴任し、9か月が経過し、以前ほど自分自身が成長しているという実感を得られなくなったことが主な原因である。加えて、以前より自分の課題だと感じていた職員会議で全く発言できないという状況が一向に改善できず、何も成長していない自分とどう向き合ってよいか解決策をうまく見つけられていなかった。
職員会議は、いつも突然の招集ではじまり、前提も何についての話かもさっぱり分からず、英語を必死に追いかけなんとか理解しようとするので精一杯なのである。各トピックのゴールも見えず、参加者たちが好き好きに話すため、コロコロと論点も変わり、そんな中で発言しなよと言われても何も出てこないというのが本音であった。
打開策が見いだせない中、会議後にカウンタパートに分からなかった部分を聞いて理解を改めるというやり方でキャッチアップをしていたのだが、変われない自分に一人落ち込む日々であった。
協力隊参加前に思い描いていた理想像とのギャップ、現地に何か協力出来ているのだろうか?という自己効力感の無さ、成長曲線の落ち込みを実感し、鬱々とすることも多かったのだが、ストレスを発散することも難しい状況であった。
日本では、ストレスが溜まると温泉に行ったり、散歩に出かけたり、映画を見ていたが、ガーナではシャワーですら満足に浴びれない。日中歩くと熱中症の危険があり、夜間は危ないのでそれも出来ない。ネットは遅く、停電も多いので、早く寝ようにも暑くて寝られない…と八方塞がりの状況で、あらためて人間力を試されるような環境だと感じた。
与えられた仕事をやり抜いて武器を作り、信頼を得る
そんな状況に変化のきっかけを与えてくれたのも、スポーツ大会であった。投擲種目とネットボールの担当として毎日朝練と夕練に参加するように言われた際には、「私、体育隊員じゃないし…どっちのスポーツもやったことないし」と後ろ向きであった。加えて、studentリストの撮影も、100人近い生徒の写真撮影からリスト化まですべて私が担当となっており、「写真撮影くらい誰がやっても同じなんだから分担しようよ」と思っていたことも事実である。
しかし、マンパワーでも何でも良いので、与えられたことを誠実にやり切ろうと切り替え、向き合った結果、風向きが変わってきた。写真撮影とリスト化をすることで、生徒の顔と名前、どの競技に出場するかインプットすることが出来た。そして、毎日練習に参加し、生徒の様子を観察することで、誰がどの種目でどのようなパフォーマンスを発揮しているのかを把握することが出来た。
そのおかげで、各種目のメンバーを最終決定する際の大会直前のミーティングでは、積極的に発言でき、「Aikoがリスト化した情報と頭脳がなければ大会に間に合わなかったね」と言ってもらうことが出来た。結局、大会は何度もスケジュールが変更され、JICAのミーティングと日程が重複していたため、最終日しか参加出来ず、前日に引き継ぐ必要があったのだが、生徒と一緒にリストを作成していたこともあり、属人化することもなく、情報がきちんと印刷され必要な形で大会に持っていくことが出来た。
この「与えられた仕事を全うし、誰よりも詳しい部分(武器)を作り、信頼を得る」というスタイルは、LTSで培ったものである。
自分の型を崩されてからの成長
一方で自分の勝ちパターンが全く通用しない状況に陥り、自分の殻を破ることで成長を実感できることもあった。
元々、私は自分にあまり自信がなく、120%の準備をすることでその自信の無さをカバーしてきた。お客様との打ち合わせ前には、隅々まで情報をインプットし、いつでも必要な情報を引き出せる状態を整え、想定質問まで携え会議に臨むことで、ようやく自信を持って会議を進めることが出来た。
この準備に時間をかけるというスタイルがガーナでは通用しない場面が多々あった。
例えば、赴任して1週間も経たない頃、授業の時間割もまだ知らないうちに教室に呼ばれ、「ここが2年生の共通クラス。今から1時間好きに喋っていいよ」と言われ全く準備が出来ていないまま、アドリブで授業をした経験は苦い記憶である。また、突然カウンタパートが過労で倒れ入院し、2週間一人でICTのすべての授業をカバーせざるを得ない状況になった際には、準備時間が全く足りずぐだぐだの授業をやる羽目になり、生徒に退屈だと言われ完全に心が折れた。
これまでもお客様との会議の中で、想定していなかった質問や情報を求められた際の対応が弱いという自覚はあったが、ここまで準備ができない(予期できない)状況が重なるとその場で考え、動くしかない。
仕事を始めて自分の型が出来るとその型に沿ったやり方で応用を効かせようとしてきたが、自分の型を崩されてこそ、新たな自分に出会い、違った角度で成長ということを実感出来た。まだまだ瞬発力は弱いが、いつでもどこでも(嘘でも)自信満々なガーナ人を見習い、小さな成長を重ねていきたい。
海外協力隊の意義
任地に赴任してから9か月が経過し、以前にも増してより一層協力隊の意義について考えることが増えた。
協力隊の主な目的として3つのことが掲げられている。
- 開発途上国の経済・社会の発展、復興への寄与
- 異文化社会における相互理解の深化と共生
- ボランティア経験の社会還元
現段階で自分が上記3つの目的をどれくらい果たせているのだろうか?と考えると、1.についてはほとんど貢献実感がない。2.3.については、日々の交流の中でガーナと日本の違いを肌で実感し、驚きや発見を発信することや日本の高校との継続的な交流を通じて少しは出来ているかもしれないが、多額の税金を使って行う価値があるような活動かと言われるとこれも自信がない。
「2年」で残せること
協力隊に参加する前は、「2年間十分に時間があるのだから何かしら現地にとってためになることが出来るはず」と信じて疑わなかったし、そういった活動が出来るだけの経験を経てきたという自負もあった。
しかし、実際に任地に一人で配属されると最初はこの地で生きていくだけで精一杯で何も出来ない、周囲の人に助けてもらうばかり、与えてもらう一方なのである。時間が経つにつれ、ある場面では少しは役に立てているかも?と思えるようなことも増えてきたが、一向にマンパワーとしての域からは出られず、一時の貢献で終わってしまうのである。
国内の訓練所で所長から「元気な姿で2年後に帰ってきてください。それだけで充分です」という激励をもらった際には「会社と異なり成果を求められない、税金で行かせてもらっているのにそんなにぬるくて良いのだろうか…」とその言葉の真意を捉えきれないでいた。しかし、最近になって思うことは、協力隊事業を推進している方たちは2年という短いスパンでの成果は期待していないのではないかということである。
コロナ後に派遣された隊員の中には、教員の現職制度の関係等で任期が一年の隊員も多くいる。2年を見据えた私ですら、焦りを感じている状況であるため、彼らのプレッシャーは計り知れない。彼らは「あと3か月で帰国という状況で、何が出来たのか、これから何を残せるのか」と必死に活動を作っている。
彼らと会話をする中で「想いの伝承」も一つの協力隊の意義なのかもしれないと感じるようになった。自分の代では、すべての活動をやり切ることは出来ないが、同期隊員や配属先の同僚、任地の子供たちが彼らの思いを引き継ぎ、活動を継続させることで、いつか大きな成果に繋がるかもしれない。協力隊の活動は、現地の生活を良くするための活動のきっかけ作り、種まきにこそ重要な意味があるのかもしれない。
知らない土地に放り込まれて生まれるもの
「想いの深さ」というのも協力隊の一つの強みだと考える。
任地に送り出されたあの日、JICA職員に自宅まで送り届けてもらったのだが、配属先での挨拶を済ませ、鍵を受け取ったことを確認するとすぐに帰ってしまい、任地での生活に大きな不安を抱いた。
家は停電しており、ハマターンと呼ばれるサハラ砂漠の砂風の影響で家中砂だらけ、埃だらけでとても住める状態ではなかった。首都生活とのギャップに愕然とし、どこから手をつけて良いものかショックで頭が働かず、茫然と椅子に座っていたあの日を思い出すと今でも動悸がする。
学校が休暇中であったこともあり、隣人さんも翌日から不在、カウンタパートにも会えず、校長先生も不在な日が多く、頼れる人がほとんどいない状況でも何とかやってこれたのは、現地の方が優しく私を受け入れてくれたからである。道行く人に声を掛け、村のことを教えてもらい、少しずつ生活に馴染む中で現地の人の無償の愛を何度も感じた。そして、彼らの優しさに触れる度に「いつかこの地に恩返ししたい」と感謝の気持ちが大きくなった。
配属当初は、この任地に放り込まれるスタイルに疑問を抱いたのだが、今振り返るとJICAがこのスタイルを貫いているのも意味があるように思える。「何も出来ない、助けてもらってばかり」という与えてもらった経験があるからこそ、強く恩返ししたいと思えるのかもしれない。そして、2年間という時間軸の中で出来ることは限られているため、任期終了以降も各々が自分に出来る形で現地への恩返しの方法を考え、実践していく。そうすることで、直接的ではなくとも少しずつより良い世界が作られていくのだと考える。
「草の根外交官」
ガーナに着任後、日本大使館を表見訪問した際に大使から「草の根外交官としての活躍を期待しています」とエールを送っていただいた。当時は、その壮大すぎる言葉にピンと来ていなかったのだが、今はその言葉の意味するところ、大きな役割を実感できる。
黒人コミュニティの中で、ただ一人の外国人であるため、一歩村を歩けば、みな興味津々に声を掛けてくれる。「オブロニ(肌が白い人)」と声を掛けられることが多いのだが、中には「ニーハオ、チャイナ、チンチョン」と呼ばれることもある。
ガーナでは、中国企業が現地で雇用を生み出すことを条件に多くの工場を設立したのだが、実態としてガーナ人を雇用する例は少なく、中国を良く思っていない人も多いという。そういった背景を知っているからこそ、中国人と間違われると複雑な気持ちになっていたのだが、その度に「日本人です。日本ではこんにちはと挨拶をするよ」と教えるとみな私とのコミュニケーションを楽しんでくれ、それ以降「こんにちは」と声を掛けてくれることも増えた。
そして、彼らは必ずしも悪意を持って「ニーハオ」と言っていた訳ではなく、ただ単純に中国人だと思ったから知っている中国語で挨拶をしただけのケースも多いと後々知った。「ガーナ人は中国人を良く思っていない」という固定観念からガーナ人を一括りで見てしまっていたのは私の方であった。「中国人と間違われて嫌な気分だ」とシャットアウトしていたら、日本を知ってもらう機会もガーナ人のコミュニケーションスタイルを理解することも出来なかった。
ガーナに日本を伝える
一度、私は日本人で日本は島国だから中国とは別の国であることを説明すると、彼らは日本のことをもっと知ろうと興味を持ってくれるようになった。色々な場面で日本について質問をされることも多い。「日本は、どのように発展していったのか、なぜ良い車を作れる会社がたくさんあるのか、日本人にとって神とはどんな存在なのか、体罰がなくてどのように生徒を指導するのか、安部元首相が銃弾に倒れたのはなぜか」と日本語でも難しい質問を私なりの解釈で回答するのだが、私が日本という国のイメージを作っているのだと思うとプレッシャーは大きい。
また、任地周辺では過去に協力隊が派遣されていた経緯もあり、日本人を好意的に受け入れてくれる人が多い。任地以外でも「日本人は好きだ」と言ってもらう機会が多く、先人たちの振舞いが「日本人=良い人たち」というイメージを作り、恩恵を預かっている。この草の根レベルの交流を通して、自国を好きになってもらうことも協力隊の意義だと実感する。
現段階では上記のように協力隊の意義を考えているが、時間が経過するにつれ考えも変わると思うので、この問いは引き続き自問していきたい。また、成果を残すことにこだわりすぎると、自己本位的な活動に陥ってしまう懸念もあるが、結局、何も残せず、行くだけで価値があるんだとも思いたくはないため、どのような貢献が出来るのかは引き続きシビアに考えていきたい。
今後やりたいこと
配属先の就職率を向上させるための取り組みを本格的に進めていきたい。
協力隊には、フィールド調査団という任意の団体が存在し、そこでは各々のテーマに沿って調査を行う。調査を行う上で、ガーナにいる日系企業の方や大使館の方がメンターとしてついて下さり、アドバイスをもらいながら活動を進める。
私は、このフィールド調査団の活動の中で就職率向上に向けた取り組みを進めていく予定である。
今回のレポートは以上です。コンサルタントらしい自己と状況の分析、そして協力隊としての今後の目標まで、濃密な振り返りをお届けしました。
次回はレポートが届き次第、公開予定です。
エディター
SE・テクニカルライターを経て、LTS入社。ERP導入や業務改革におけるユーザー向け広報・教育企画および業務文書改善など組織コミュニケーションに関連するコンサルティングに従事。2017年よりLTSコンサルティング事業のマーケティングを担当。2021年より本サイト「CLOVER Light」の立ち上げ~運営・編集長を務める。(2024年1月時点)