LTSにも新卒社員が入社
こんにちは、LTS執行役員の山本です。4月から新社会人となった皆さん、おめでとうございます。LTSにも、たくさんの新卒社員が入社しました。
LTSの新卒社員は、入社から5月末まで、人事部主管の教育で社会人としての振る舞いやビジネスの基礎を学びます。この期間中の新卒社員のドレスコードはスーツです。これは着慣れないスーツに慣れ、TPOに合わせた服装の着こなしを学ぶためです。
6月からは主管が事業部門に移り、より実務に即したサービス教育となります。一部の職種については前半の2週間、私が担当しているKM(ナレッジマネジメント)推進室(以降KM)が主管となり、企業変革の流れや変革方法論の基本を学ぶ研修を実施しました。私はこの研修の最初の4日間の講師を、KMのメンバーと共に担当しています。研修のドレスコードについても講師に任されるわけですが、私たちはこれを決める立場になったわけです。
LTSの通常のドレスコードはカジュアルです。私も外出や来客がないときは、ジーンズにTシャツといった、かなりラフな格好をしています。また、お客様先への訪問でも、最近はスーツを着ることは稀です。ビジネスカジュアルが圧倒的に多いですね。新卒社員たちも既にスーツにも着慣れた頃でしょうし、私たちが担当する研修のドレスコードはビジネスカジュアルとしました。社員への伝達が遅れたため、研修初日はこれまで通りのスーツ。次の日からはビジネスカジュアルとなりました。
“スーパーカジュアルで来てくださいね”
さて、そんなビジネスカジュアル初日の新卒社員たちの服装はどんな感じでしょうか。40人ほどの社員がいたのですが、男性はジャケットとスラックスのいわゆる“ジャケパン”スタイルが主流です。女性も落ち着いた色のブラウスなど、しっかりしたビジネスカジュアルのスタイルでした。
そんな彼等のチョイスを頼もしくも感じながら、同時に私たち講師が思ったのが「とはいえ、先輩社員はもっとラフな格好をしているんだよな」でした。研修の目的がこれから現場にでるための訓練であるなら、 “現場で許されるくだけた服装”の側のスタンダードを試してみるのも良いかもしれません。そこで二日目はこんなお願いをしてみました。
「明日は“スーパーカジュアル”で来てくださいね。」
「?!」
このお願いは新卒社員に想像以上の波紋を巻き起こしました。グループワークの休憩時間も、彼らは「明日、何着る?」「スーパーカジュアルってどういうこと?」「どこまでがいいの?」みたいなことを話しています。どうやら休憩スペースでもその話題で持ちきりだったらしく、既存社員からも「なんか新卒社員が“明日は何着ればいいんだ!”って騒いでるんですが、何があったんですか?」と聞かれる始末です。
研修中には新卒社員から「失礼にならないように、何か基準があれば教えてください」とも質問を受けましたが、「そこを考えるのも学びの一部なので」と伝えるにとどめました。
なぜこのようなお願いをしたのか?もちろん、先輩社員のスタンダードに合わせたということはありましたが、そこには別の意図もありました。
デジタルの業界標準はカジュアル!?
理系の学会のドレスコードにまつわる有名なジョークがあります。
「化学会では“スーツを着るように”と言われる、物理学会では“汚れていない服を着るように”と言われる、数学会では“服を着るように”と言われる」
分野によって研究者の “キャラ”が違うということを、おもしろおかしく表現したジョークです。さすが裸で学会に来る人はいないでしょうが、数学者の服装がラフな印象はありますね。数学者の秋山仁さんがバンダナをトレードマークとしていることは有名です。
私たちが所属するIT、コンサルティング、その他周辺産業も含めて“デジタルコミュニティ”の界隈では、カジュアルな服装が主流です。私が新卒でこの業界に飛び込んだのは1999年。まだ仕事着はスーツが標準で、会社によっては“シャツは白に限る”といった常識も残る時代でした。
あれから25年。今ではスーツはむしろ少数派で、ビジネスカジュアルどころか、お客様にお会いする時もカジュアルが許される場面が増えました。特にアジャイル開発コミュニティの服装はかなりラフで、ジーンズ&Tシャツが標準着という感じもします。このような流れの中で、大企業のIT部門や大手Sierなどの、これまで “固い”とされた会社でもカジュアルが標準となりつつあります。最近は、雑誌や新聞のこれらの企業の役員インタビューでの服装がくだけた格好であることも増えていますね。
LTSがお付き合いしているお客様やパートナー企業にも、このような文化の会社はたくさんあります。スーツが必要な状況はもちろんスーツで良いとしても、一種の“業界標準服”としてのカジュアルにも慣れてほしいというのが、今回の“スーパーカジュアル”の一つ意図でした。
カジュアルを重視する3つのメリット
しかし、よくよく考えてみると、なぜデジタルコミュニティはカジュアルな服装が多いのでしょうか?
もちろん歴史が浅い業界で、伝統的な価値観に縛られない文化的背景があることは大きな理由でしょう。ただ、最近のこの業界を見ていると、文化や歴史的経緯だけではなく、明らかなビジネス上のメリットを考えて、あえてカジュアルを打ち出している会社も多いように思えます。自分なりに考えたところ、主に三つの理由が浮かびました。
一つ目は「チームの生産性を高めるため」です。アジャイル開発が主流となりつつある近年のデジタルプロジェクトでは、一つの目標を達成するために、ユーザー(プロダクトオーナー)とエンジニア(開発チーム)が対等な関係で、お互い遠慮なく接することが大切になります。率直な対話が、開発の生産性を高めるというわけです。これはユーザーとエンジニアの関係が、お客様とITベンダーという関係であっても同様です。お互いがまさに “普段着”のままで接することが重視される場で、「お客様にはスーツで接するのが礼儀」というスタイルでは、チームとしての一体感は生まれ難くなってしまいますね。
二つ目の理由は「多様性とクリエイティビティの尊重」です。これはデジタルコミュニティに限った話ではないかもしれません。企業は、変化が早く、複雑化する市場において、これまでにない価値を製品・サービスを通して生み出していかなくてはなりません。そのためにはお互いの個性、感性を尊重し、多様で自由な発想から有効なアイデアを見出していく必要があります。自由な服装もこのための環境の一つとなるわけです。
そして三つ目の理由は「変化に向き合う企業イメージを作るため」です。スーツとカジュアルのイメージを言葉にすると、スーツは「保守・伝統」、カジュアルは「新しさ・自由」といった表現が浮かびます。変化を強調するデジタルサービス会社の役員がスーツではなく、あえてカジュアルでインタビューを受けるのはこの点が一つの理由でしょう。中には経営者が髪を染めていたり、インタビューに革ジャンで臨んだりということもありますね。そのようなスタイルを強調することで「新しい時代を創造する自由で革新的な会社」というイメージを大切にしているのです。
その他にもエンジニアの獲得が難しくなっている昨今の採用市場において「服装自由」とすることで、より採用競争力を高めるという理由もあります。総じて、文化や歴史的経緯だけでなく、ビジネス上の効果も狙っていると考えられます。
スーツだらけになったカンファレンスの反省
服装面での「保守・伝統」からの脱皮というテーマでは、私には苦い思い出があります。
LTSは2022年が創立20周年でした。翌2023年にはお客様やお世話になった方への感謝を伝えるために、20周年記念カンファレンスを実施しています。私は、ビジネスアジリティというキーワードを主体に、このカンファレンスの全体メッセージと講演プログラムを設計する役割を担っていました。私も一講演者として、プログラムの最後に「LTSが考えるこれからの経営」を語っています。
このカンファレンスを企画するにあたり、「お客様をお迎えする社員のドレスコードをどうするか」が一つの論点になりました。カンファレンス事務局が当初考えた案は「お客様を迎える場なので全員スーツ」でした。これに私は異を唱えました。「アジリティを語る場で全員がスーツでは、あまりにテーマとの乖離が大きすぎる」ということが理由です。
個人的には「常識の範囲内で自由」にしたかったのですが、これに対して「本当に自由な(失礼な)格好で来る社員がいるかもしれない」「むしろ決めてくれた方が選ぶのが楽」「自分が担当しているお客様の業界は未だスーツが標準」などなど、さまざまな意見がでた結果、一種の折衷案として「ジャケット着用のビジネスカジュアル、それぞれの担当のお客様に合わせてスーツもOK」となりました。
そして迎えた当日、社員の服装はかなり画一的なものとなりました。特に男性はスーツが半数以上です。残りも大半はジャケパンスタイルで、むしろみなが同じようなジャケパンなので、それが制服のような状態となりました。
私はカンファレンス後の懇親会の風景を眺めながら、社長の樺島弘明に「今回のドレスコードはもうちょっと考えるべきでした。多様性やアジリティを語る場なら、服装にも多様性があるべきであったと思います」と話しました。
なお私は講演に際して、ジャケットは着用しましたが袖をまくったスタイルで臨みました。普段から長袖はまくる癖があって、この場ではあえて―これが似合っているのかはおいといて…-自分なりのスタイルで行くことにしたのです。
いま思い返しても「ルールがあった方が楽・安全」は逃げであったように思います。もちろん社員が好んでスーツやジャケパンを着るのは何の問題もありません。しかし、今回は指定される形でこのような姿になっているわけです。個人の選択として “スーパーカジュアル”な社員がいたとしても、本人なりにそれを正解だと思うのであれば、それはアジリティの基本である“自律”の体現です。その結果生み出される多様な姿こそが、本来LTSがお客様にアピールしたかったものだったのではないかと考えています。
この私の経験談は研修に参加していた新卒社員たちに説明しました。今回の新卒への“スーパーカジュアル”のお願いの裏側には、このような私なりの過去の反省もあったのです。
服装一つが会社のブランドを左右する
私が昨年に参加した、あるアジャイル開発関連のカンファレンスの話です。当時は冬だったので私は普段着のセーター姿で参加しました。しかし、行ってみると参加者の大半がスーツ、またはそれに類するジャケットでした。またシニアな男性の数が多いことが目立ちます。他のアジャイルのカンファレンスでは女性も多く、また若い方が積極的に参加している印象なので、それとはかなり違うものでした。
「これでアジリティを語れるのだろうか?」
これは私の正直な感想です。もちろん、服装や男女比、年齢比でアジリティの根幹が決まるわけではありません。しかし感覚的には、どうしても伝統的な日本のビジネス慣習を写し取ってしまい、多様性が欠けているように思いました。そこからの脱皮をテーマとするはずのカンファレンスなのに、入り口で心理障壁ができてしまったという感覚がぬぐえなかったのです。
「変化」をキーワードとする私たちの業界において、無難な格好は本当に無難でしょうか。確かに保守的な考え方からの無用な非難は避けられるかもしれません。しかし、一見してリスクを避けているようで、実はその様子をみて心が離れる人がいる可能性は念頭に置くべきかもしれません。
TPOに配慮しつつ、お互いのスタイルを尊重
もちろんTPOに合わせたフォーマルな装いは心地よいものです。私は中学生のころから吹奏楽を趣味としていますが、私たちが演奏会に臨むとき、服装は統一します。クラシック曲の演奏であれば、男性は礼服に白シャツ、蝶ネクタイが標準です。大学のころはマーチングバンドのリーダーをしていたのですが、服装をビシッとそろえた動きの統一美は観るものを魅了します。
大切なことは二つです。TPOに合わせて、必要であればしっかりした服装を着こなせること。ですから、LTSでも新卒研修の初期はスーツとしているわけです。そしてもう一つは、一定の自由度が許されるケースにおいても、自分なりの個性・スタイルと周囲への配慮を両立させた“自分なりの正解”を模索することです。その意味で、どれだけ周囲がカジュアルな格好をしようとも、スーツというスタイルを極めるのも一つのスタイル・個性でしょう。大切なのはそこに“自分なりの正解”を考える姿勢があるかどうかです。
ビジネスアジリティの根底にあるものは、組織に所属する一人一人の自律です。それぞれが自分なりの正解を突き詰めた結果、そこに一定の規律と自由さが、心地よいバランスで登場している、そしてこれが誰からかの指示ではなくお互いの協調の中で実現されていることが理想なのです。
さて、3日目の服装は…
さて、そんな波紋を巻き起こした“スーパーカジュアル”、3日目の社員の服装はどのようなものだったのでしょうか?
どうですか。だいぶカジュアルになりましたね。
この日は朝からみんなどこか楽しそうで、休み時間はお互いに記念写真などをとっていました。前日の騒動が伝わったためか、デジタル事業本部長の上野亮祐(取締役)をはじめ、研修を見学に来た社員もいました。もちろん、研修内容ではなく服装を見に来たのです。
4日間の研修の振り返りの場では、一部の参加者から「服装が変わったこともあって、より率直に意見を言いやすかった」という言葉もありました。たかが服装、されど服装、ちょっとしたことでも変化を生み出すきっかけになることを学んでくれたのではないでしょうか。さまざまな経験から、それぞれが自分なりの考えを深め「自律」のきっかけになることを願っています。
後日談 “スーパーカジュアル”を超えた“カラフルデー”
さて、ここまでのエピソードは、私が講師を担当した4日間の研修の話です。その後、KM主管の研修は、翌週まで続きました。この間に今回の“スーパーカジュアル”の騒動を聞きつけたマーケティング担当から「デジタル業界の服装をテーマに、コラム書いてください」という依頼がやってきました。つまりこのコラムです。この時、載せる予定の写真をみたKMの同僚講師が、こうつぶやきました。
「どうせコラムに載せるならもっとBefore/Afterに差があるといいんですけど」
「カラフルなTシャツでもみんなで着るってことですか?」
「まあそんな感じですかね。“カラフルデー”みたいな。」
これはその場の話で終わったのですが、この話を聞いていた新卒社員からこんな申し出がやってきました。
「“カラフルデー”やらないんですか?」
「え、やるの? やりたいの?」
「やりましょう!」
…というわけで、2週間の研修最終日、この日は思い思いにカラフルな服を着てくる日になりました。もちろん強制ではありません。最終日の風景がこれです。普段着の人も含めて、とても多様性のある場になりましたね。
はじめは「何を着ればいいんだ」「どこまで許されるんだ」と守りの意識だった彼等が、むしろ積極的にスタイルの模索を楽しむことができるようになったことは、一つのアジリティの獲得であったかもしれません。私たち講師も大きな学びを得た2週間でした。なお、“巻き込まれ”でカラフルな服を着ることになった私も、沖縄でもらった紫色のかりゆしを着て出社しました…。