「氷山が溶けている。もうすぐ崩壊するぞ」―。カモメになったペンギン(※1)のよう、企業が事業環境の変化に柔軟に対応するにはどうすればいいのでしょうか? LTSはパートナー企業の戦略的な意思決定に寄与することを目的に10月、ホワイトペーパー(WP)「Strategy & Insights」(※2)を創刊しました。VOL.1のテーマは「破壊と創造 デジタル技術が書き換える産業の境界線」。執筆したのは数多くのクロスボーダーM&A組成やアドバイザリー案件にコミットしてきたLTS執行役員の長谷川敬洋です。「Strategy & Insights」ではプロフェッショナル企業がデジタル技術の進化に対応、変化し続けるための「4つのアプローチ」を挙げています。長谷川に産業の境界が溶けていく現状、またWPに込めた意図を聞きました。
大学卒業後、大和総研、富士通、みずほフィナンシャルグループ、SMBC日興証券を経て2023年から現職。この間、通信・ITサービス産業や制御・ロボティクスなどの製造業の戦略立案・戦略支援および産業動向・戦略のリサーチとM&A助言などに従事。英国およびシンガポール駐在期間を含む20年間にわたり、欧米・アジア太平洋地域の顧客企業のクロスボーダーM&A組成に関与。(2024年10月時点)
※1)「カモメになったペンギン」。ハーバード・ビジネススクールのジョン・コッター教授らが2007年(日本語版)発刊。「組織変革を成功させる8段階のプロセス」を、南極の氷山で暮らすペンギンの群れを舞台とした寓話として描いている。
※2)「Strategy & Insights」は年1回発行の予定です。パートナー企業さま、メディア関係者さまにお配りしています。ご関心のある方は、lts_prmarketing@lt-s.jp へお問い合わせください。
M&A、クラウド化という大潮流と日本と欧米の違い
―――日立製作所が2021年、米ITサービス企業のGlobalLogic(グローバルロジック)を約1兆円で買収しました。「Strategy & Insights」では、デジタル業界での、大手プロフェッショナルサービス企業による多くのM&Aのケースを分析しています。
レガシー(伝統的)ビジネスが中心のITサービス企業にとってM&Aは、デジタル分野・DXビジネスを獲得し一気に強化する手段となります。また、レガシーな組織をトランスフォーメーション(TX)するためにも、デジタル領域で実績のある欧米企業を買収する方が圧倒的に速いことは間違いありません。レガシーなITサービス企業の多くは、ウォーターフォール型の開発を中心にしており、DX事業で主流となりつつあるアジャイル開発、ロ―コード/ノーコード開発とはやや距離があります。従業員のリスキリングには時間がかかりますし、欧米で実績あるものを持ち込んでやった方が速いですよね。
日立はGLを買収した後、GlobalLogic Japanを立ち上げてノウハウ持ち込み、日本にローカライズしたビジネスを展開しています。デジタル領域のM&Aの象徴的な先行事例で、それを見た競合各社も同様の戦略を採ろうとしています。ただ、レガシー型ITサービス企業が同様の業態の企業を買収しても、レガシーの増幅でしかありませんので、買収する企業がレガシー型かデジタル型かの見極めが必要です。本書の124ページでも述べていますが、「変革意欲の低いレガシー企業同士が提携しても、変革型デジタル企業に突然変異することはない。レガシーとレガシーの掛け合わせは、かえってレガシー色を強め、変革への動きを鈍くし、レガシーの化け物を生みだすだけ」です。
―――ウォーターフォールからローコード/ノーコード開発、アジャイル開発にビジネスの比重が高まっている背景は?
企業を取り巻く環境の変化スピードが加速し、より柔軟で俊敏な開発手法が求められているからです。きちっと仕様を固めて、長い期間をかけて開発するウォーターフォールでは、変化への対応が難しくなります。AIは言うまでもなく、大きな潮流の一つはクラウド化です。ご存じの通りデータセンターなどのITインフラ、ERP(基幹システム)やCRMでもクラウド化が進んでいます。SaaSへの移行支援ビジネスは増えても、アプリケーションはSaaSプロバイダーが適宜アップデートし、フルスクラッチ開発や既製品のカスタマイズといったレガシー型のシステムインテグレーター(Sier)が関与するようなビジネスは減っていくでしょう。
―――クラウド化が進む一方、「2025年の崖」(※3)が指摘され、ERPの更新ではトラブルも聞こえてきます。
これまでERPパッケージを導入してきた日本企業は、相当なカスタマイズをしていました。例えば、「2025年の崖」が指摘されるきっかけとなったSAPの最新バージョン、SaaS型のSAP S/4HANA Cloudは、カスタマイズは最小限にして標準システムを利用すること、Fit to Standard(FTS、既製システムの標準機能に合わせて業務を変えること)が前提となっています。これまでのシステム設計・開発思想、大規模カスタマイズとFTSとのギャップがユーザーやSier双方の悩みになっていると感じます。
※3)「2025年の崖」 経済産業省が「DXレポート~ITシステム「2025年の崖」克服とDXの本格的な展開~」(2018年)で提示。システムが複雑化、老朽化、ブラックボックス化し保守運用にコストが奪われることでDX推進が阻まれると指摘した。既存のSAPのサポートが2025年に終了(後に2027年末まで延長、オプションの延長保守サービスは2030年末まで)することが背景にある。
―――日本企業ではなぜパッケージのカスタマイズが求められるのでしょうか?
一つの要因として人材の流動性のなさが挙げられると思います。同じ仕事を変わらぬ仲間で進める分には、自社のやり方にカスタマイズした方が馴染みやすく、業務も進めやすい。一方、人材の流動性が高い欧米では社員が頻繁に入れ替わりますから、システムや業務を標準化することが求められます。また会計や流通などバックオフィス部門は、他社とそれほど差別化が必要ではありませんからパッケージで十分です。欧米企業は自社製品・サービスの競争領域をどこに置くのかを明確にし、競争優位性の確立に経営資源を集中している印象です。
もちろん、全てが変わるわけではありませんが、メンテナンスコストを最小限に抑えた上で、最新技術やアプリが使えるクラウド前提がトレンドであることは間違いありません。個別のカスタマイズはしにくくなるというデメリットはありますが、最新のシステムが使えて、しかもベストプラクティス(最善の方法)であれば、非競争領域で自社の独自性を付け加える必要性はない、ということになります。クラウド化は避けられない動きです。そうした状況の下、経営者は何をクラウドに移行し何をしない(何をオンプレミスとして維持する)かの、判断を迫られるでしょう。
BPOからクリエイティブまで 競争優位の源泉
―――競争優位性と言うと、「Strategy & Insights」では企業の自己変革の事例として、銀行、保険など金融サービス分野で業務処理アウトソーシングソリューション、BPO(Business Process Outsourcing)を提供する米EXL社(Exlservice Holdings Inc.※4)を取り上げています。
※4)1999年にEY、ドイツ銀行、バンク・オブ・アメリカにいた3人が創業し、2004年に米ナスダック市場上場。創業以来、欧米の生損保・ヘルスケア、銀行・資産運用会社など大手企業を顧客基盤とし、データ処理など業務オペレーションを支援。2010年前後からビッグデータ・アナリティクス事業を展開し、分析サービスのリーディングカンパニーと評価されるようになった。
EXL社は、企業の事業内容が劇的に変わっていることを象徴する会社として取り上げました。私は2013年頃、インドでEXL社のオペレーションを直接見ました。また経営陣ともお付き合いをいただき、ビジネスが進化する過程を体感してきました。率直にTXを非常に上手くやっている会社だと感じています。
EXL社の強さ、専門性は業種・業務、デジタルオペレーション、AI・データアナリティクスの専門家によるサービス体制です。ユーザーと直接タッチしていて、データから様々なビジネス・インサイトをつかむことができます。当初は保険等の金融機関向けデータエントリーなどの比較的単純な業務を行っており、顧客企業のバックオフィス業務の委託先という印象があるかもしれません。しかし現在は、単なるアウトソーシング、悪く言うと下請けやアンダーではなく、データアナリティクスやAIなどのデジタル技術を使い商品開発からマーケティングまで、顧客企業との共同開発に不可欠なパートナーの役割を担っています。例えば、保険業界向けのBPO業務では、新規加入者や加入者の行動データなどから、契約者に何を提案すると契約が進むのかといったマーケティングなどです。大手顧客企業のパートナー、業界に知見を持つコンサルティングファームのようです。
―――そこまで成長すると、顧客企業と競合することになりませんか?
顧客企業はBPO企業にはない巨大な顧客基盤や世界的な代理店網を持っています。EXL社は保険会社のオペレーションを理解し、顧客企業にはないリソースを持つことで、顧客企業にとって重要なインサイトを提供しうるパートナーとなっています。顧客企業と上手く役割分担しています。
EXL社の主要顧客は欧米のグローバル企業であり、EXL社の成長と変革は経営者が常に先進性の高い顧客企業のニーズや市場トレンドを先取りし、新しいものを取り入れ続けてきた結果です。デジタルエンジニアリングの領域で、顧客の製品やサービス開発を共同で実行するのと似ています。今後、顧客企業とプロフェッショナルサービスの会社の関係は、EXL社のような方向に進むのかもしれません。
―――クリエイティブ分野では、世界100カ国以上に事業展開するフランスの広告代理店「Publicis」(ピュブリシス)のケースも興味深く感じました。
広告代理業、クリエイティブエージェンシーの分野では、Publicis とともにWPPグループ(英国ロンドンに拠点を置く世界最大の広告代理店グループ)が2000年以降、データアナリティクス、AIへの投資の優先順位を引き上げました。広告の中心はそれまで、紙媒体やテレビといった〝オールドメディア〟にあり、広告代理店の仕事相手もそこでした。しかし、オンラインメディアの成長、台頭により世界、日本ともにマス4媒体(新聞、テレビ、ラジオ、出版)とネット広告の売り上げは逆転しています。Publicisはいち早く広告市場のデジタルシフトに反応し、大型M&Aも活用しながら売上高に占めるデジタル事業の割合を高めることで、オールドメディア広告市場の縮小の影響を最小限にとどめ、デジタル広告市場の成長とともに事業規模を大きくしています。既存プレイヤーが自己変革によって、衰退の危機を乗り越えて新しい市場での成長へ移行したケースです。もちろん、変革ができずに衰退した同業者も存在します。
デジタル広告市場には、新しいビジネス・市場機会として見出したアクセンチュアなども参入しています。今後は、大手でもM&A投資やデジタル変革をできるところと、そうでないところで二極化が進み、市場から退場するケースも出てくるでしょう。
―――業種に関係なくM&Aを使ったデジタル化や、DXが進み、すべての企業がITサービス企業のようです。
Publicis とWPPグループ両社のM&Aの方針は異なりますが、いずれもデジタル化の象徴的なケースだと言えます。また、大手クリエイティブエージェンシーの売上高推移をみると、アクセンチュアが驚異的な成長をしていることが分かります。
欧米ではすでに、データ分析やAI活用などデジタル系のサービス、先に挙げたEXL社のようなBPO企業と広告代理店、コンサルティング会社それぞれで業務の境界が曖昧になっています。BPOの会社がマーケティング、新商品や業務プロセス改善のコンサルティングを担い、その競合が大手広告代理店、アクセンチュアといったコンサルティング会社なのです。日本にもこの流れは当然、来るでしょう。あるいは、欧米のプロフェッショナルサービス企業が、DXの事業機会と捉えて参入してくることもありえると考えています。
大波に備える指針に WPへ込めた意図
―――ホワイトペーパーのサブタイトル「デジタル技術が産業の境界線を書き換え」ているようです。
ITサービス産業は国内ビジネス中心で、意外とドメスティックです。しかし、ITサービスのユーザーである日系の顧客企業でも超大手はどこも、海外売り上げが国内を上回っています。デジタル化が進んでいる欧米拠点がある分、技術進歩のスピードへの対応力、日本の市場に閉ざされた会社とグローバルの変化に対応した会社との差が出たケースかと考えています。
「Strategy & Insights」で少し紹介した日本のクラスメソッド社(※5)は、パブリッククラウドという新しい市場の創造を感知し、他社に先駆けて投資して成長した、まさにアジリティ(機敏さ)を活かした象徴的なケースです。ユーザーとしてAWSを使ってみたら「これは良いのではないか」と着目し、AWS導入支援サービスを立ち上げ海外展開が進み、現在の売り上げは年約772億円です。日本でもこのようなことが起きています。
※5)クラスメソッド社。社長の横田聡氏が大学院修了後の2004年、法人向けシステム開発会社として創業。試行錯誤の後、2013年にAWS支援サービス「クラスメソッドメンバーズ」の提供を開始し、集中投資した。2019年から2023年の年平均成長率は約38%。2022年には日本企業初のAWS「SI Partner of the Year-Global」に選出された。
―――このような状況で、コンサルティングファームは、顧客からどんな期待をされるのでしょうか?
コンサルティング会社にはやはり、グローバル動向や日本と海外市場の差を認識し、新しいことを取り込むことができるような〝組織変革〟を支援することが求められるでしょう。ボーダレス化が進む中で、これまでのような意思決定が通用しなくなります。グローバルの視点で対応できる組織を整えるためのアジリティ、組織能力…を獲得し、いかに成長分野を発見できるかです。
コンサルティング業界も、従来の〝パワーポイントベース〟のサービス提供ではクライアントのニーズを満たせなくなります。SierであればDXのためのビジネスモデル変革というコンサルティング機能が求められます。コンサルもSierも双方が似たような業態になり、境界は曖昧となるでしょう。
―――ホワイトペーパーでは、デジタル技術の進化に直面したプロフェッショナルサービス企業に4つ戦略を挙げています。
①「自己破壊」②「組織再編」③「破壊者との共闘」④「アービトラージ(裁定)」です。
総括すると、海外の経営者と話をして感じるのは、先にお示ししたBPOや広告代理業が象徴するよう「これまでは想定もしていなかったプレイヤーとの競争に巻き込まれている」ことと「変化することの重要性」を、みなさんが痛感していることです。自社のビジネスは変わっているし、業界も変わっている。そして、その背後にあるのがクラウドやAIといったデジタル技術です。日本ではまだ見えないところがありますが、欧米に5年から10年遅れで間違いなくその大波が押し寄せてきます。そのために何を準備するか、どういう戦略を立てるか、一つの指針になればと願っています。
―――LTSに参画した経緯と理由、これから手掛けたいことは?
長谷川敬洋 大学卒業後、大和総研、富士通、みずほフィナンシャルグループ、SMBC日興証券を経て2023年から現職。この間、通信・ITサービス産業や制御・ロボティクスなどの製造業の戦略立案・戦略支援および産業動向・戦略のリサーチとM&A助言などに従事。英国およびシンガポール駐在期間を含む20年間にわたり、欧米・アジア太平洋地域の顧客企業のクロスボーダーM&A組成に関与し、現地企業のCXOとのネットワークを築く。シリコンバレーに本社を置くウェブサイトのコンバージョン最適化プラットフォーム企業Fanplayr社アドバイザリーボードメンバー。一橋大学商学研究科経営学修士課程修了、筑波大学ビジネス科学研究科博士後期課程単位取得満期退学、オックスフォード大学サイードビジネススクール・ディプロマコース修了(グローバルビジネス専攻)。専門は産業組織論、グローバル戦略、イノベーション戦略、M&A・アライアンス戦略。(2024年10月時点)
「LTSのリサーチ機能やM&Aオリジネーション機能を強化したい」と亀本悠さん(取締役副社長執行役員、主にデジタル活用サービスを展開する事業部門の責任者)に声をかけてもらいました。正直、前職を辞めることに迷いはありました。しかし、コンサルティングやパートナーシップ構築を通じて、IT・デジタルのビジネスにつなげられることにやりがいを感じました。
また、どこかのタイミングで会社の看板はなくなるものです。いずれ、組織や会社の看板ではなく自分の看板で仕事をしたいとも考えていました。LTSの人財開発の目標である「『実現可能な選択肢をより多く持つ独立人であり自由人』であること」と、私の指向が重なりました。その指向がLTSブランドの確立につながれば理想的です。
企業の成長手段はM&Aだけではありません。これまでコミットしてきたM&Aだけではなく、コンサルティングでも広く社会や顧客の役に立ちたいと考えています。
インタビューアー・ライター
新聞記者、月刊誌編集者を経て2024年1月にLTS入社。北海道大学科学技術コミュニケーター養成ユニットを修了し、同大でサイエンス・ライティング講師を経験。著書、共著、編著に「頭脳対決! 棋士vs.コンピュータ」(新潮文庫)など。SF好き。お勧めは「星を継ぐもの」「宇宙の戦士」「ハーモニー」など。(2024年1月時点)