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プロセス変革・業務改革

ビジネスアジリティとは何か(前編) ビジネスアジリティが必須になる時代へ①

このコラムは、株式会社エル・ティー・エスのLTSコラムとして2019年4月から連載を開始した記事を移設したものです。

当コラムの最新の内容は、書籍『Business Agility これからの企業に求められる「変化に適応する力」(プレジデント社、2021年1月19日)』でご紹介しております。

ライター

山本 政樹(LTS 執行役員)

アクセンチュア、フリーコンサルタントを経てLTSに入社。ビジネスプロセス変革案件を手掛け、ビジネスプロセスマネジメント及びビジネスアナリシスの手法や人材育成に関する啓蒙活動に注力している。近年、組織能力「ビジネスアジリティ」の研究家としても活動している。(2021年6月時点)  ⇒プロフィールの詳細はこちら

こんにちは、LTSの山本政樹です。久しぶりにコラムを書きます。

皆さんは「ビジネスアジリティ」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。変化が早い時代において、企業がその組織を変化に適応させる能力・・・というような意味合いです。世界ではかなり普及が進んでいる言葉で、一種の流行語、バズワードといっても良いかもしれません。日本ではあまり聞かれない言葉ですが、私はこのビジネスアジリティという言葉が、これからのビジネスを考える上では必須となる概念だと考えています。
今回、新しいコラムシリーズとしてビジネスアジリティとは何かということを語っていきたいと思いますが、簡単に説明しきれるものではないので、何回かに分けて解説します。現時点では以下のような構成を考えていますが、もしかすると変わるかもしれません。

①ビジネスアジリティとは何か
②ビジネスアジリティのBefore/After(経営戦略と財務)
③ビジネスアジリティのBefore/After(ビジネスアーキテクチャ)
④ビジネスアジリティのBefore/After(テクノロジーアーキテクチャ)
⑤ビジネスアジリティのBefore/After(戦略と人)
⑥ビジネスアジリティのBefore/After(変革)
⑦ビジネスアジリティを高めるために企業が行うべきこと

なおビジネスアジリティという概念は多くの団体が同時多発的に唱えており、固定された定義はありません。私は、私の理解と考えでこれを語っていきたいと思います。ご意見や疑問点等ありましたら是非フィードバック頂ければ幸いです。では前置きが長くなりましたが、第1回を始めましょう。

変化の早い時代へ

最近「変化が早い時代」といった言葉がまるで定型の挨拶のように交わされます。技術の進化によってヒト・モノ・カネ、そして情報の移動が早くなり、それに伴いビジネスのスピードが劇的に加速し・・・などという説明は聞き飽きた感もありますが、事実であることは間違いないでしょう。このような中、企業は顧客の期待や市場の変化に適応していくことを求められています。

以下はジム・ハリス氏がまとめた「各種の技術がユーザー数5000万人に達するまでどれだけの期間がかかったか」という表で、この種の話題でよく引き合いに出されるものです。

飛行機、自動車、電話、電気といった今では社会インフラとなっている初期の技術は大体50年前後の時間をかけて定着していますが、コンピューター、携帯、そしてインターネットといった情報通信インフラは10年前後で定着しています。これがユーチューブやフェイスブック、ツイッターといったアプリケーションになると数年単位となり、ポケモンGOについてはなんと19日でユーザー数5000万人を達成しました。

私が子供であった1980年代前半はまだ電話といえば黒電話で、当然、携帯などというものはありませんでした。電話は単純にかけるだけの機能しか持たず、料金プランは電話をかける時間帯で多少変わる程度という大変単純なものでした。この黒電話の歴史は戦前(昭和8年)にさかのぼり、AT&Tのデザイナーが開発したものを日本でも真似たのが始まりだそうです。そう考えると実に70年くらい使われたわけです。

黒電話から留守電のついた多機能(?!)電話にようやく替わり始めた1980年代半ばでは、一つの製品のライフサイクルは4年~5年程度だったといわれます。しかしそのサイクルはどんどん短くなり、今では携帯電話に限らず多くの家電は半年に一度のタイミングで新製品が出ます。新たなアプリケーションにいたっては毎日のようにリリースされ、料金体系もすぐに変わります。お客様の期待を反映するサイクルが、そのようなスピード感となっているということであり、そのスピード感についていけなければすぐにお客様は他社に移ってしまいます。

変化の速度が速くなったのは製品やサービスのライフサイクルだけではありません。組織の意思決定や体制変更のサイクルも早くなりました。昔は基本的な経営数値一つとってみても紙でやりとりされていたわけで、紙から紙へ転記と計算を行い、紙を物理的に運ぶ時間が必要でした。これが今はデジタルコミュニケーションの技術が進化したことで、グローバルで瞬時に情報を共有し素早く意思決定することが可能になっています。生産や販売についてもアウトソーシング等を活用して、これまでより柔軟かつ迅速にその設備や拠点の拡張が可能になりました。今は個人でも自作のCADデータを海外の工場に送れば、翌週には試作品を送り返してくれる時代です。パートナー候補の会社はインターネットを使って広く世界中から探すことが出来るようになり、クラウドファンディングやエンジェル投資等、資金調達手段も多様化しビジネスをはじめやすい環境も整いつつあります。

これらの変化の根底には、やはりデジタル技術の急速な進化があります。大量の情報を瞬時に処理し、空間を超えて一瞬で情報を転送できるデジタル技術の進化は、複雑化する一方でビジネススピードを圧倒的に加速させるという二律背反を可能にしました。ロボット工学や素材の進化なども含めて、多かれ少なかれ現在のビジネス環境の変化のどこかには技術の進歩が影響しています。

大企業も油断すればあっという間に凋落する時代

「今の競争環境については心配していない。なぜならわが社のブランドは十分に認知されているからだ」

これは2008年にブロックバスター社 CEOであったジェームズ・キーズ氏が発した言葉です(正確に言えば“わが社”という部分は“ブロックバスター”という自社名でしたが)。ブロックバスター社は2000年代で米国最大のDVDレンタルサービス企業です。日本で言えばTSUTAYAという感じでしょうか。その最盛期は9000店、売上約60億ドルを誇りました。しかし、この発言からわずか2年後の2010年9月にブロックバスター社は倒産し、民事再生の道を歩むことになります。この背景にあったのはNetflixをはじめとするオンラインビデオ配信サービスの攻勢でした。

日本でも変化の波に乗れずに苦しんでいる企業は少なくありません。かつて日本の産業の花形であった電機・電子産業などは最たる例です。液晶テレビの市場競争が激しくなり、その収益構造が悪化しても次々に新工場を稼動させ経営を圧迫したシャープの例や、事業構造そのものを転換させることなく、無理な業績目標を“チャレンジ”として現場に押し付け最終的に不正を生んでしまった東芝の例などは、変化への対応を怠った最たるものかと思います。

このように「変化の早い時代」では、変化の察知や対応が遅れた瞬間に一瞬で凋落してしまいます。このような時代において組織はどうやって変化に適応し、生き残り、お客様に継続して価値を届けるのか、これがビジネスアジリティという言葉が注目される背景です。このような「変化への適応」が全世界的に企業経営のテーマとなる中で急速に着目されている言葉ではありますが、残念ながら日本での注目度はまだ低いのが現状です。

今の時代に求められる“ビジネスアジリティ”とは

このような背景の中で、組織に強く求められると言われる力が「ビジネスアジリティ」です。その言葉の定義に絶対解はないのですが、私なりに多くの人の考え方をまとめたところ、以下のような言葉となりました。

ビジネスアジリティ:事業構造を外部の環境変化に対して素早く適応させることを可能にする組織能力

“ビジネスモデル”や“デジタルトランスフォーメーション”といった言葉も人や組織によって様々な定義をしていますが、ビジネスアジリティもこれと同様にその定義は様々です。ただ根底には共通の要素や考え方があり、それらをまとめるとこのような表現になったわけです。なお「ビジネス」となっていますが、これが求められるのは企業とは限りません。官庁、教育機関、NPOなど変化への適応はありとあらゆる組織で必須であり、組織全般で適用できる概念です。

「アジリティ」とは俊敏さ、機動力といった意味で、変化に適応する能力を指します。「迅速性(=Speedy)」とは似ていますが異なる概念です。時速300キロで走ることが出来るF1マシン(以下、F1)はサーキットでは速いですが、一旦コースを外れて砂地に突っ込んだらタイヤが空転して身動きがとれなくなります。一方で、時速100キロ超のラリーカーは、舗装路も砂利道も雨や雪が降っても走れるわけで、道路環境が変わる中では結果的にF1よりも早く目的地に着くことが出来ます。企業の進む道は常に山あり谷ありのラリーコースのようなものです。ただスピードが速いというよりは「状況に合わせて速やかに変わること/適応すること」ということがアジリティの根底にはあり、「いろいろな環境に対応しながら結果的に速い」くらいに思っていただけると良いと思います。

世界のビジネスアジリティを巡る動向

ビジネスアジリティはもともとアジャイル開発やLean Six Sigmaのコミュニティがその概念に関する研究を進める中で自然発生的に生まれた言葉で、2010年代から聞かれるようになりました。少なくとも明確な提唱者や団体は見当たらず、一般概念化した言葉と言えます。

ビジネスには環境変化に適応する能力が必要だという論はかなり昔からあり、カルフォルニア大学教授のデイビッド・ティース氏が1990年代に提唱した「ダイナミック・ケイパビリティ」あたりがその発祥ではないかと思われます。ティース氏はこれを「環境変化が激しい中でも、企業が恒常的に変化して、対応し続ける能力」としており、その定義はビジネスアジリティそのものです。ただビジネスアジリティ関連の文献を見る限りあまり学術側から影響を受けたという話は聞かず、先ほどのアジャイル開発のような実務経験の中から問題意識を議論していった上で、結果的に同じような概念にたどり着いたのではないかと推測します。ですから経営学をご存じの方はビジネスアジリティをダイナミック・ケイパビリティと何が違うのかと考えるかもしれませんが(実際、同じなのですが)、私の所属するコミュニティの傾向を反映してここはとりあえずビジネスアジリティで話を進めます。

現在、北米やヨーロッパを中心に「Business Agility Institute」や「Agile Business Consortium」といった、この分野の啓蒙団体が活躍しています。これらの団体は前述のアジャイル開発やLean Six Sigma関連のコミュニティから発展してきました。サポートしている企業もこれらの方法論やソリューション、ツール、教育等を提供するコンサルティング会社やソリューションベンダーたちです。このような団体を中心にビジネスアジリティのフレームワーク策定や、定期的なカンファレンスなどが行われています。

私がビジネスアジリティという言葉を意識したのは2014年です。というのも、日本でも2014年に刊行されベストセラーになったビジネス書「競争優位の終焉」(原題は“The End of Competitive Advantage“で原書の刊行は2013年)で、この言葉が登場していたからです。著者のリタ・マグレイスはビジネスアジリティを軸に持続する競争優位などというものはもはやなく、旧来の戦略フレームワークは終わりを告げたと述べています。この本はビジネスアジリティを語る海外の講演でも引き合いに出されていたので、ビジネスアジリティの普及に一定の影響を与えたと言って良いでしょう。この後に登場するアジリティの要素の分類でも、この本の記述を参考にしました。

※ビジネスアジリティを理解する上ではおすすめの本ではありますが、個人的な感想として「過去のやり方は通用しない」ということを強調するために、ポーターのような過去の戦略フレームワークを曲解していると感じる部分もありました。そういう意味で、読む際には少し冷静さも必要だと感じた本でもあります。

ビジネスアジリティは企業変革に関わる様々なコミュニティでも積極的に議論されています。私の専門領域の一つはビジネスアナリシスなのですが、ビジネスアジリティはビジネスアナリスト(BA)のコミュニティでも中核的なテーマの一つです。2017年にBAコミュニティの重鎮であるロジャー・バートン、ロナルド・ロス、ジョン・ザックマン氏の3氏が連名で“ビジネスアジリティマニュフェスト”を発表しました。このビジネスアジリティマニュフェストはIIBA日本支部理事が翻訳し、日本語版もリリースされています。なお、彼らが主として主張しているのは事業構造内に存在するプロセスやルール、ナレッジといった要素をしっかり可視化し、迅速に交換可能な部品として管理することです。ビジネスアジリティの中でも、特にビジネスアーキテクチャのマネジメントに関するアジリティについて触れているとご理解頂くと良いと思います。

出典:Business Agility Manifesto(日本語版)(https://busagilitymanifesto.org/10-translations/23-bam-japanese

このように企業経営や変革に携わる者にとってビジネスアジリティという言葉はもはや避けて通れないものになっています。今後この傾向はどんどん強まるものと思われます。

ここまで、ビジネスアジリティの定義と概観をみてきましたが、このような説明では抽象的な概念で、まだ何を示すのかあまり理解できません。企業が“アジリティを持つ”とは戦略、ビジネスアーキテクチャ、組織構造など組織内のありとあらゆる要素で、様々な能力や仕組みを複合的に保持する必要があります。当シリーズでは、7つの観点で「ビジネスアジリティを重視すると各要素がどう変わるのか」ということを解説しています。後編では、まず全体を俯瞰して理解頂ければと思います。