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プロセス変革・業務改革

全員が発揮するリーダーシップへ(前編) ビジネスアジリティが必須になる時代へ⑬

このコラムは、株式会社エル・ティー・エスのLTSコラムとして2019年4月から連載を開始した記事を移設したものです。

当コラムの最新の内容は、書籍『Business Agility これからの企業に求められる「変化に適応する力」(プレジデント社、2021年1月19日)』でご紹介しております。

ライター

山本 政樹(LTS 執行役員)

アクセンチュア、フリーコンサルタントを経てLTSに入社。ビジネスプロセス変革案件を手掛け、ビジネスプロセスマネジメント及びビジネスアナリシスの手法や人材育成に関する啓蒙活動に注力している。近年、組織能力「ビジネスアジリティ」の研究家としても活動している。(2021年6月時点)  ⇒プロフィールの詳細はこちら

こんにちは、LTSの山本政樹です。ビジネスアジリティのコラムシリーズの13回目、「ビジネスアジリティにおける“リーダーシップ”」の前半です。今回のテーマは個人、とりわけ個々人が組織の中で発揮する「リーダーシップ」に焦点をあて、第9回~第12回の「組織」で登場した“自律した個”というキーワードをもう少し深く掘り下げていきます。

アジリティの根幹にある個人の自律

ここまで5つのテーマにわたってビジネスアジリティについて論じてきました。
①ビジネスアジリティとは何か
②ビジネスアジリティにおける”戦略”
③ビジネスアジリティにおける”アーキテクチャ”
④ビジネスアジリティにおける”デジタルソリューション”
⑤ビジネスアジリティにおける“組織”
実は、このコラムシリーズのほぼ全ての回で、何らかの形で“自律した個”の必要性が説かれていたことにお気づきでしょうか。第3回の戦略では、これからの事業創造は経営者ではなく、よりお客様に近いところでさまざまな専門家が結集した戦略マネジメントチームが、自律的に活動していく姿を紹介しました。第4回第5回第6回のアーキテクチャの回と第7回第8回のソリューションの回では、自社の事業構造をしっかり理解し、自身の持つ専門性とは異なる分野にも好奇心を発揮して、クロスファンクショナルチームとして連携していく必要性を説きました。そして第9回第10回第11回第12回の組織の回では、組織の構成員が変化に自律的に対応していくネットワーク型組織への移行の流れを紹介してきました。

ビジネスアジリティの根幹はこの個人の自律にあります。それが新規事業の創出であれ、業務や情報システムの変革であれ、この原則に変わりはありません。組織の構成員の全員がその感覚を研ぎ澄まし、日々の仕事において環境の変化や問題発生の兆しを感じ取ります。分からないことがあれば自分で調べ、やるべきことを考え、自身で行動していきます。この時、自分だけでは限界があれば、周囲のメンバーと自発的に連携し、問題解決の輪を広げていきます。

コラムの第1回で、ビジネスアジリティは「事業構造を外部の環境変化に対して素早く適応させることを可能にする組織能力」だと説明しました。同時にビジネスアジリティには「個人を、自律した個人に育てることができる(ないしはそのような個人を外部から獲得できる)組織能力」という側面もあります。この個人の自律という観点をそれぞれの領域に分解していった先には「イノベーションを可能にする自律人材とはどのような姿か」「業務変革を可能にする自律人材とはどのような姿か」という各領域別の人材像に展開され、例えば業務変革であれば「自身が実行していない前後のプロセスや、情報システムの内部構造も精通している」といった個別具体的な姿勢や能力と、そのための育成方法論にたどりつくわけです。

前置きがかなり長くなったのですが、この回の主たるテーマは「自律しているとはどういうことか」ということです。一連のコラムの第3回から第12回は、アジリティの領域別に自律人材の姿を描いてきましたが、この第13回ではそれらの人材の基盤にある共通の姿勢を掘り下げて考えてみたいと思います。その際に避けて通れない言葉が「リーダーシップ」です。自律人材は自身の仕事のありとあらゆる面でリーダーである必要があり、同時にフォロアーである必要もあります。この自律人材に求められるリーダーシップ(そしてフォロアーシップ)とはどのようなものなのでしょうか。

これからの時代に求められるリーダーシップの姿とは

「リーダー」「リーダーシップ」という言葉を知らない人はいないのではないかと思います。しかし、一方で「リーダーとは、ないしリーダーシップとは何か説明できますか?」というと困ってしまう人も多いと思います。ここではビジネスアジリティを高めるという観点で個人に必要とされるリーダーシップの姿を考えてみましょう。

オンラインゲームにおけるリーダーシップ

皆さんはスプラトゥーン2というゲームをご存じでしょうか。ニンテンドースイッチ(Nintendo Switch)のゲームで、販売本数300万本を超え、世界大会も開かれている大ヒットオンラインゲームです。簡単に言えば4対4のチーム戦で、プレイヤーは水鉄砲から色付きのインクを発射することで、決められたフィールドを塗っていきます。時間内により多くのフィールドを自軍のインクで塗ったチームが勝ちです。遭遇した相手のプレイヤーにインクを当てると倒すことができるので(倒されたプレイヤーはスタート地点に戻されます)、その間に相手の塗った個所を塗り返すことが勝利のための基本パターンです(“ナワバリバトル”のルール)。

【スプラトゥーン2の画面(プレイヤーは筆者)】

さてここからが本題です。このゲームにはプロチームを含むたくさんのチームが活動しているのですが、この中にはYouTube等で自チームの試合動画を公開しているチームがあります※1。チームメンバーはゲーム中、ヘッドセットでコミュニケーションをとりながら試合をしていますが、この会話がなかなか興味深いのです。先ほどまでチームに指示を出していたメンバーが、その数秒後には他のメンバーからの指示に「了解」といって従うといったように、状況報告と指示、そしてそれに対する返答が飛び交います。メンバーはお互いのコミュニケーションから必要な情報を瞬時に取捨選択して、最終的には自分の判断で行動します※2。特定のリーダーばかりが指示をするチームもありますが、上位チームほど、対等な関係で指示や報告をお互い飛ばしあっている印象があります。

※1
なお私は個人参加でしかプレイしていないので、チームの対抗戦は観戦のみです。ウデマエB+~A-でうろうろしている程度なのであまり上手なプレイヤーではありません。
※2
ここでの雰囲気を知るために、以下の動画などが参考になると思います。対戦しているチームはどちらもこのゲームのトッププロチームです。
【第3回スプラ甲子園】オンライントーナメント決勝 GGBOYZ対LibalentCalamari(https://www.youtube.com/watch?v=7LNKEa5h81U

このようなオンラインゲームのリーダーシップについて「Leadership Online Labs」という論文があります。この中で筆者は“オンラインゲームでのリーダーシップで最も驚くべき側面は、ある時点では他の人達に指示を与えるが次の時点では指示を受けるというようにリーダーが自然と役割を交代することである”と論じています※3。私がこの論文を読んだ時に、真っ先に思い浮かんだのが前述のスプラトゥーン2の上位チームの動画でした。

※3
ハーバード・ビジネス・レビュー(2008年5月)の記事“Leadership Online Labs”より(Byron Reeves, Thomas W. Malone, and Tony O’driscoll)

「リーダーが自然と役割を交代する」ことがここでの要点です。オンラインゲームでは状況が秒単位で変わるため、誰がチームに指示を出すのかという主導権もすぐに入れ替わります。その瞬間に最も適切な判断ができると考えた人が自発的に指示を出し、その指示は「チームの代表者」とか「指示だし係」というポジションに紐づいているわけではありません。誰もが指示をする側にも、受ける側にもなります。根底にはお互いに対する信頼があり、誰かが指示をしてきたときに「その人がその指示をするということは、それなりの合理性がある」という信頼の下、その指示に従うわけです(もちろん自分の判断でその指示に従わないこともあります)。そして試合後は反省会をして、お互いが出した指示や状況判断が妥当だったかをフィードバックし合い、次の試合に活かします。当然、お互いに信頼がなければ、指示や報告は一方的に無視され合い、必然的にそのような不協和音のあるチームは試合に勝てなくなっていきます。

これをビジネスに当てはめると、次のようになります。あなたは新製品企画の会議に参加しています。ここでは製品の技術上の問題が議題だったのですが、あなたは自分の専門分野の知識を活用することで問題を解決できることに気付きました。ですので、積極的に発言し問題解決に向けて場をリードします。この時に、会議のリーダーシップはあなたにあります。ところが次の局面ではその製品の販売上の問題が提起されました。営業やマーケティングに詳しくないあなたは考えあぐねてしまいます。しかし、そこではマーケティング部門の担当者が発言をはじめ、議論が前に進むようになりました。あなたはこの担当者の意見に積極的に耳を傾けて、質問をしたり自身の賛否を表明したりします。この瞬間、この会議のリーダーシップはあなたからマーケティング部門の担当者に移り、あなたはフォロアーシップを発揮して、リーダーの議論推進を助けています。

私たちが効果的にチームワークを発揮している時、このような自らが積極的に解決策を提示できる局面ではリーダーシップを発揮し、他のメンバーがリーダーシップを発揮している際はフォロアーシップを発揮するという、「リーダーシップの自然な交代」を行っています。この時の議論の推進は、議長やその会議の役職上の最上位者といったポジションに紐づいて行われているわけではありません。自身の専門性を最大限に活かしつつ、お互いの信頼関係に基づいて議論が進んでいきます。このような場は特定の“リーダー(議長や役職上位者)”ばかりが議論をリードする会議よりもはるかに生産的でしょう。

全ての人がリーダーシップを発揮できる条件

オンラインゲームや会議の事例のように、その問題に取り組む全ての人が対等にリーダーシップを発揮するには、メンバーにどのような条件が備わっていなければならないのでしょうか。

一つ目の条件は「判断基準の共有」です。メンバーが自発的に発言したり行動したりしても皆が同じ判断基準を持っていれば、判断の基盤となる情報が同じである限りにおいて仲間も同じ判断をするであろうという信頼を持つことができます。判断基準というと何か詳細なルールを共有していて、同じアルゴリズムの元で動いているイメージを持ちます。このようなルールの共有以上に大切なのはビジョンの共有です。目指しているゴールは何なのか、自分たちの行動の基準となる価値観(やっていいことと、ダメなこと)は何なのかといったことです。細かいルールだけを共有しても、ルールが適用できない新たな局面には対応できません。どのような局面でも瞬時に自分なりの判断基準を生成しても、それが他のメンバーとずれないようにするにはビジョンの共有が欠かせません。

そして二つ目に大切なことが「情報の共有」です。どんなに判断基準を共有していても、判断の根拠となる現状認識がぶれてしまえば、判断結果は異なったものになってしまいます。ですから、お互いが持っている情報を可能な限り共有し、判断結果がずれないよう根拠情報を送り合うわけです。持っている情報の違いが認知の壁を作り、お互いの不信感を生んでしまうことは第9~11回のコラムでも「サイロ化」として触れました。私の経験上、組織や人の間の不信のかなりの割合が単純にお互いの状況を理解していないという情報共有不足に起因しています。逆に言えば、同じ情報を共有さえしていれば必然的に誰しも同じ結論にたどりつくということも少なくないのです。情報の共有がお互いの判断のブレを失くし、信頼関係を高めることについては次の節で少し深く触れたいと思います。

そして最後に大切なことが「お互いの専門性に対する敬意」です。チームのメンバーはそれぞれが自分の得意分野を持っていて、この得意分野を最大に発揮することでチームに貢献しています。会議の例のように企業はさまざまな専門性を持った人の集まりで、それぞれが問題解決に貢献できる分野は異なります。先ほど紹介したオンラインゲーム(スプラトゥーン2)の世界ですら、各プレイヤーは自分が得意な武器(水鉄砲)や得意とする立ち回り方は異なり、それぞれの特性を活かして支え合います。自分は他のメンバーでできないことでチームに貢献し、また自分にできないことをしてくれる他のメンバーを同じように敬意をもって接するという相互尊重は良いチームワークの大前提です。

リーダーシップとは人々を問題に立ち向かわせる手腕

とはいえ、ここまで紹介したオンラインゲームや会議におけるリーダーシップの発揮は、比較的難易度の低い例と言えます。各自が他者よりも優越して持っている専門性と情報を駆使して、他者に影響力を行使しています。その人の専門性と根拠情報に信頼がおける限り、他者も素直にその人の主張を受け入れるでしょう。しかし、実際の組織運営では、もっと困難で長期的な変化を伴う活動を皆で乗り切らなければいけないケースもあります。このような時に求められる別のリーダーシップの姿も見てみましょう。

困難な変化を導くリーダーシップの論説において、第一人者とも言える人がハーバード・ケネディスクールのロナルド・ハイフェッツ教授です。ハイフェッツ教授はリーダーシップを「問題に立ち向かい、大勢を動かす手腕」と定義しています。そして、先ほどのオンラインゲームや会議の事例のような、専門知識や十分な情報分析を駆使すれば解決が可能な問題を「技術的な問題」とし、このような問題を解決するリーダーシップの実態は「権威(オーソリティ)」の発揮で、本当に必要とされるリーダーシップとは別のものだとしています。また、地位の高さによる優越性を利用して「私がリーダーだから、私が決める」「私が決めたことに皆、従ってくれ」と姿勢は分かりやすい権威の発揮であり、このようなやり方で本当に困難な問題を解決することは難しいとも論じています※4

※4
ここでの論説はNHK Eテレの番組「リーダーシップ白熱教室」及び教授の著作「リーダーシップとは何か(産能大学出版部)」を元にしています。教授の論説によれば、前述のオンラインゲームと会議の事例はリーダーシップの発揮というよりオーソリティの発揮ということになりますが、私はこの言葉をそこまで厳密な定義で区分けする必然性はないと思っていますので、ここでは技術的な問題の解決を導く活動も(別の形の)リーダーシップとして論じています。

アジリティを高めたい組織が直面する問題の例が、前回のコラムでも紹介した自律未満の個を自律した個に変化させていく活動です。各チームを率いるリーダー(そして経営者)は個人の行動変容を促す長い道のりでリーダーシップを発揮しなければなりません。このような人々の意識変化を伴う困難な問題を、教授は「適応を要する問題」としています。組織に新たに入ってきた「自律未満の個」が「自律した個」に変容していく過程は、リーダーからの指示や命令、何らかの知識の提供があれば成し遂げられるものではありません。個人の変化はあくまでも各自が自身の甘えや弱みを見つめ、長期的な意識改革とスキル育成で成し遂げるものです。問題を解決しているのは最終的にはメンバー一人一人で、リーダーはそれを支援することはしていますが、決して独力で解決しているわけではありません。リーダーシップは問題の解決策を示す役割として語られることが多いですが、ハイフェッツ教授は困難な問題ほど、リーダーの役割は(解決ではなく)問題を提示し、それが問題であることを皆に理解させ、関係者一人一人が自身の問題として解決のための行動をおこすように方向づけることだとしています。

ハイフェッツ教授の論説でおもしろいのは、「リーダーと呼ばれるポジションにいる人も、必ずしも全ての問題にリーダーシップを発揮できるわけではない」と言っていることです。誰しもスーパーマンではありませんから、世の中全ての問題解決でリーダーシップを発揮できる人などいません。誰しも問題解決を推進できるテーマもあれば、そうでないテーマもあります。そう考えるとリーダーシップは、地位や役職ではなくその問題の特性に応じて、最も適切な振る舞いをできる人に交代された方が効果的です。それにも関わらず人は組織の上位階層にいる人は全ての問題解決にリーダーシップを発揮すべきだと期待しますし、さらに言えば自分たちに面倒な行動を迫るのではなく、てっとりばやく問題を解決してくれることを期待もします。これからのリーダーは、組織のメンバーのこのような上位者依存の傾向を取り払い、組織内の問題を自分事として考えていくよう促していく役割が求められるのです。ハイフェッツ教授のリーダーシップ論は「アダプティブ(適応型)リーダーシップ」と言われますが、ビジネスアジリティが求められる時代において必要されるリーダーシップの一つの姿を描いていると言えます。

アジリティの高い組織で求められる二つのリーダーシップ

ここではリーダーシップに関する二つの論説を見てきました。ビジネスアジリティを高める上では、組織にはこの双方が必要です。オンラインゲームや会議の事例を通して説明したリーダーシップは、日常的に発生する短期的な問題解決を主導するリーダーシップで、 “時限的なタスクとしてのリーダーシップ“と言えます。 自律した個が日常的に発揮するリーダーシップは主にこちらのリーダーシップです。ここでは、誰もが局面に応じてリーダーの姿とフォロアーの姿を機動的に切り替えます。メンバーは自分がリードした方が良いと思えば主張するし、他人にリードを任せた方が効果的だと思えば、その瞬間にさっと引くといった判断を繰り返すことになります。リーダーというと何か象徴的で、特定の人に覚悟を迫るポジションのような印象がありますが、ここでのリーダーは問題解決のための “タスク”として、よりドライに振る舞っています。

一方で、ハイフェッツ教授の「適応を要する問題」の例で論じたような“人々の行動変容を促すリーダーシップ”も必要です。これからのチームのリーダーは“自律した個”の先輩として、自律未満にあるチームメンバーを導く役割があります。リーダーは、このようなメンバーからの信頼を集め、人々に自分自身を“自律した個”に変容させていくよう変化を促していく必要があります。そう考えるとこれからのリーダーは、実務上は“時限的なリーダーシップ”、メンバーの指導上は“人々の行動変容を促すリーダーシップ”を発揮していく必要があるわけです。

大切なことは、このどちらの定義であったとしても、これのリーダーシップは「経営者だから」とか「管理職だから」もしくは「年齢が上だから」といった役職や階層には紐づかないということです。その人がリーダーかどうかは、あくまでもその振る舞いと、リーダーシップを発揮しているテーマで決まります。役職や上位の階層といった地位は人々を動かす手段にはなりますが、逆にそれだけでは権限として保障されている範囲を超える行動を人に促すことはできませんし、自身の専門性が及ばない領域で無理にリーダーシップをとろうとすれば、むしろ問題を悪い方向に導いてしまう可能性もあります。逆にそのような地位がなくても、説得力のある言葉や高い専門性、過去の行動からくる信頼は権力を伴っていなくても人を動かす原動力になります。このようにリーダーシップの考え方をまとめると「1.リーダーシップとは問題解決(や変化推進)のための手段であり、」「2.組織においてリーダー的なポジションにいたとしても、全ての問題にリーダーシップを発揮するとは限らないし、全てのことを決定するわけではない」ということが言えます。

ところがこのような考え方は意外と語られません。私はさまざまな場(例えば協会の研究会であったり、研修であったり)でリーダーシップ論に触れることが多いのですが、「リーダーシップとは機動的なもの」といった論説を聴いた経験はほとんど記憶にありません。この要因として企業がもっぱら階層型組織で、階層型組織の上位層の心構えとして「リーダーであれ」と促していることがあるように感じます。この論理だと「1.あなたにはあなたに従う部下がいる」「2.よってあなたは部下に対して(常に)リーダーシップを発揮しなければならない」となっています。先ほどまで論じてきたリーダーシップの考え方と、そのベクトルが全く逆であることにお気づきでしょうか。もちろん組織の上位層にリーダーとしての自覚を促すことが、その人の意識を覚醒させたり、能力を育てたりということはありますから、これを全く否定するものではありません。しかしこのような論説はリーダーシップを、組織の上下で分断してしまい、メンバーの自律的な行動を妨げる可能性もあるわけです。

こう考えると、世の中の「リーダー」という言葉への感じ方が変わってきます。スポーツドラマ(やマンガ)などで、キャプテン(リーダー)に指名された主人公が、チームの内紛をうまく解決できず苦悩するシーンがよくでてきます。チームメイトも「お前がキャプテンなのだから、お前が決めなくてはならない」などと(内心は心配しながら)突き放したりします。ドラマでは、主人公はこの局面を乗り越えて人間的に成長したりするわけですが、ここまでの理論に照らすとこのようなリーダー像が本当にこれからのリーダー像なのかは違和感も持ちます。「リーダー」というポジション(役職)にある人に問題解決を委任してしまい、周囲の人はそれを傍観しているわけですから、「それって本当にチームワーク?」と思ったりもします。こういうことがあると、企業に限らずリーダーとは「ポジション」であって、そのポジションにある人がリーダーシップを発揮しなければならないという神話は強いのだと実感します。